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*マリクロ|電子書籍総合出版社 作家ブログ*
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村田沙耶香(むらたさやか 1979年8月14日‐)
小説家
代表作に、『ギンイロノウタ』、『しろいろの街の、その骨の体温の』(第26回三島賞)、『コンビニ人間』(第155回芥川賞)など。
(『コンビニ人間』の)タイトルは、けっこう後で決めて、最初は全然違う話を書いてたんです。
でも、けっこう前の作品で書き残してたことを書くことが多くて、編集さんに「もし前の作品とかぶってたら言ってくださいね」って言ってお見せして、「かぶってます」ってすごい正直に言ってもらって、「確かに、言われた通りだ」と思って、1回全部捨てようと思って。
まったく捨てると、かえって進む時があるので、今までの原稿を全部捨てて、「さて何を書こう…」と思った時に、コンビニを舞台にしてみようかなって、なんか急に思いついて、急にノリノリになって書いて、そうしたら「これで最後まで完成させましょう」ってことになって、ガーって完成させました、半年くらいですね。
寝る前は、すっごい、お話を考えないと寝れないです、いろんなお話を。
「休日、何してるの?」って言われると、大体、それこそ音楽とか聴きながらお話しを作ってるんです。
たんなるお話しを(頭の中で)作って、その空想の時間がないといられなくて。
それで、コンビニでバイトしてた原因のひとつは、コンビニでバイトすると、その空想の世界から強制的に帰ってこれるので、そうするとやっと小説が書ける状態になって。
コンビニって15分だけ、5時間で15分だけ休憩があって、その時にものすごい溜まってた空想がぶわっと出てきて、ものすごいメモを取るんです(笑)
そのメモが、すごい大事だったりするので、コンビニっていう場所で本当にいっぱい文字を書いたなぁって思っていて。
歩いてると、わりと映像が浮かんでくるので、小説のことを考えたり、あと全然関係ないお話を作ったりしながら歩いてる時間がないと、ちょっとイライラしてしまう。
いっぱい歩きたいです。
けっこう近所に住んでる人から…(自分は)お話しを作りながら笑ってるらしくて、「村田さんが笑いながら歩いてて、たぶん小説のこと考えてるんだろうなと思って声掛けられなかったよ」って後から言われて。
恋のお話が多かったりするから、恋してる2人物語とかを想像してニヤニヤしてるみたいで、それをけっこう目撃されてるってことに最近気がつき…(笑)
家とかでは、なんかもう自分の作った空想の話なのに、「なんで別れてしまうんだ」とか言って泣いてる時があります(笑)
そのグッとくる感じを作りたくて、たぶん空想をしてるんだと思います。
(小説家に)なるもんなんだと思ってたんですよね、(小学生の頃から)小説を書いていたらいつの間にか…。
賞(群像新人文学賞優秀賞)を取ったのは、デビューをした、大学を卒業してからなので、誰にも見せてなかったので。
誰かに見せるっていうことは、すごい勇気がいることで。
たぶん子どもの頃、友達に「小説見せて」って言われると、見せる用の小説を書くんです、で、それを見せちゃうんです。
で、自分の書いた本当の小説は家にこっそり、ワープロの中に隠していて。
小さい頃は、少女小説家になりたかったので…少女小説って何だろう…まぁ、ちょっと不思議な男の子と…それこそサンタクロースの男の子と学校の先生が恋愛するとか、なんかそういうファンタジー…それなのに急に人が死んだりとか、めちゃめちゃだったので…。
(小説を書くことは)自分にとっては、お祈りをするような場所でした。
たぶん、小さい頃から本当におとなしくて内気で…幼稚園とかでも同い年の子とは怖くて、あんまり話しかけられなくて。
すっごいおとなしくて泣き虫で、それですごく気ばっかりつかって、自分の意見とかが言えないというより、自分の意見がわからない、何なのかすらわからない、みんなが平和でニコニコしてればとにかくそれでよくて、自分の意志がどこにあるのかわからないっていう子供だったので。
でも、小説でだけは自由になれた。
なんか誰の顔色もうかがわず自由になれたし、あと小説は空想と違うのは言葉があるから。
言葉って自分をどこかへ連れて行ってくれるので、思いがけない予想外の場所へ言葉とか物語の力が…人物が動き出すとかよくいうんですけど、子供ってとくにそういうのに振り回されるので、人物が本当に動き出してしまって、どんどん引きずられて、自分では想像もつかない場所に連れて行かれるのがすごく楽しくて。
自分にとっては唯一、お祈り、聖域、そういう場所、今でも。
だから、大人の事情に合わせて書くっていうことが全然できなくて(笑)
大人の事情が、なんとなく感じられても、なんか忘れてしまうんですよね。
大人になったら、もっとちゃんとしないととか…おとなしく、クラスでも全然喋らなくてもいられるのは子供だからみたいに言われるし。
子供の頃、大人になったらきっとこうなるのかなって思ってた、ならなきゃいけないだろうなって思ってた自分が、結局ならないまま小説を書いている気がします。
小説家ってもう、編集さんとずっと体当たり、もう本当に相撲みたいな体当たりで、お互い裸で体当たりみたいな感じでずっと…そういうイメージがあります。
作品は楽譜だっていうたとえにいうと、(編集者は)試し弾きをしてくれる人みたいな、「こういう音ですよ、ジャーン」って鳴らしてくれる人のような存在で。
その音を聴いて、「あぁ、なんか、あそこの部分の音が強すぎるな」って、なんかそういう。
だから、一番最初に自分の作品を演奏してくれる人っていうリスペクトがあるんだと思います。
それで裸でぶつかり合うみたいな感じで(笑)
私の尊敬している先生の言葉で、「作者は小説の奴隷である」っていう言葉を聞いて、大事にしていて。
私にとっては「いやだな」って思う方向に物語が転がっていたとしても、それは壊しちゃいけないというか。
とにかく、たとえばハッピーエンドに絶対したいからとか、あるいはそれを壊したりっていうことしてはいけないなと思っていて。
とにかく、物語の力みたいなものに逆らわないように、それには従うように、それだけは昔からわりと心がけています。
今のところ(コンビニのバイトは)続けるつもりでいて、バイトしてるとメチャメチャ原稿が進むっていう何かがあって。
コンビニでバイトしながら、またまったく新しいものを書いていけるといいなと思います。
(NHK『SWITCHインタビュー 達人達』より)
西川美和(にしかわみわ 1974年7月8日‐)
映画監督、小説家
代表作に、映画『蛇イチゴ』、『ゆれる』、『ディア・ドクター』、『永い言い訳』など。
関係性について書いてしまうのはもうね、ほとんど無意識ですね。
自分がその…他者との関係をテーマにやっていく作家だっていうふうに決めているわけではなく、上手くつながれないこと、ディスコミュニケーションといわれるものに、どうしても興味がいっちゃうんですよね。
だから、無意識にそういうモチーフを取り上げているんですけど、今回の(映画『永い言い訳』)主人公は自分自身の曲がった自意識であるとかね、弱さだとかそういうものは、より濃く投影した部分があると思います。
あたしねぇ…じつのところ目の前のことしか考えてないんですよね。
何かの賞をもらうとか、大きな映画祭に出るとか、そういうことって映画のビジネスとしてはとても大切なことだし、一応その…チームの目標としては持っているし、出たいし、賞ももらったらいいんだけど、本当のところで、根っこのところではね、何にも考えてないんですね。
だからね、自分のためにしか作ってないと思います。
いい年をして、子供を育てたこともないっていう…子供がいないまま中年になった人間の身の置き場のなさであるとか、それが悪いことではないんだけど別に。
ただなんかその…世界に対しての自分の立ち位置っていうのが、どんどんわかんなくなっていくんですね。
それってね、20代とか30代の前半にはもう自分の人生で実現することに必死だから感じなかったんだけれど、そういう自分の中に重なってくるいろんな負い目とか引け目みたいな、それが年齢相応のそういったものを、とっても自分自身、語ることも恥ずかしいんだけど、ある意味、その自分の足りなさだとか欠落を逆手にとって、絶対、自分だけじゃない、この欠落感とか、寄る辺なさを感じてる人間はっていう…そこはまぁ賭けなんだけれど、そこも含めて自分の欠落や恥を出せば、まぁこれだけ物語がすでにある世の中で、またちょっとだけ新しい角度をね、投じられるんじゃないかなと思った、というところかな。
言わないですね小説家とは、自分からはね。
やっぱり、背負う覚悟がないから…覚悟の問題じゃないですか。
だから、私は映画は下手でも背負ってるんですね、背負ってる気持ちでやってるんですよ。
で、小説は背負ってないです、まったく。
小説のほうが自分は自由になってる感じがするんだけれど、でもね、自由でいられるのは私がプロじゃないからですよ、たぶん、それは。
俳優って肉体が、具体的な肉体が入ってくると、正直いって自分がイメージしたものとはズレがあるし、違うといえば違うんですよね。
ほとんどその…他の人を入れてやるっていうことは、はっきりいって妥協とね、落胆の連続ですよ。
だけど、それをなんか…崩壊ととるか…変化と受け取るか…そこだと思うんですけどね。
結局ね、なんか振り返ってみると、自分が完璧に支配して作り上げたOKの箇所よりも、なんかこう…いろいろな偶然が重なったりだとか、場所とか天候とか、俳優が出してきてくれた自分が思いつかなかったところが…そういうシーンのほうがね、後々はね、好きなんですよね。
快感はねぇ、ないんだけどね、現場では。
ないんだけど、終わると何か、寂しくなるというより、その場所自体が非常に愛おしく感じますねぇ。
「あぁ、あんないい場所があったのに、あたしは毎日、あぁ上手くいかない、上手くいかないって言ってるばっかりだなぁ」っていうふうに気づいてしまいます。
だから、次こそは、ね、もっと違う形で人を生かして、上手くコミュニケーションとって、と思って話を書くんだけど、また現場に戻ると…あれですね、上手くできない、目の前の人を大切にもしない。
終わる。
終わると、まぶしく見える。
その繰り返し。
(映画のスタッフを)そんな、手放しにね、ほめられないです。
でも、それがね、血の通った関係性じゃないですか。
私はまぁ、家族がいないから、両親以外…そういう意味で、ある意味、家族的な…人との関係性も映画という表現手段そのものも、自分の家族のように近いものになってるんじゃないですか…愛憎。
やっぱり、いろんな人が関わり、いろんな人が汗をかく映画っていう仕事に身を置けてることが、やっぱりありがたいなぁと思うようになりました。
けど、それも最近ですね、ほんとに。
(NHK『SWITCHインタビュー 達人達』より)
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