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*マリクロ|電子書籍総合出版社 作家ブログ*
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押井守(おしいまもる 1951年8月8日‐)
アニメーション監督、映画監督、ゲームクリエーター、演出家、小説家
代表作に、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』、『イノセンス』、『機動警察パトレイバー the movie』、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』など。
アニメーションを、いかにしたら映画になるかっていうさ、当時は切実なテーマだったんですよ。
豪華なテレビアニメとね、映画としてのアニメーションってどこが違うんだろうってさ、これがわかんない限り、監督になれないと思った。
で、『エース』(『劇場版 エースをねらえ!』1979年公開、監督・出崎統)って作品を観た時に、まぁ、驚いたわけだよね。
格調っていうか、まぁ、映画としての“格”を感じたんですね。
繰り返し観るしかないから…繰り返し観て…何回観たか覚えてないけど。
ひとつわかったのは、流れてる時間が違うんだってことなんだね。
んー、これはね、ちょっとした発見だった。
印象に残ったのは、主人公の“丘ひろみ”っていうね…主人公が試合をするんですよ。
その時に頭上をヘリコプターが通過してくっていう、有名なシーンだね、あれね。
その瞬間に感じる“何か”なんですよ。
異なる時間と空間をね、自在に生み出すことで、その作品に固有の時間が流れ始めるっていうかね。
それがね、とてつもない快感を生み出すっていうかさ。
『ビューティフル・ドリーマー』(1984年公開の映画『うる星やつら2』)っていうのは、それだけを目指して作った。
(NHK-BS『クリエーターたちのDNA ニッポンアニメ100年史』より)
アレン・ギンズバーグ(1926年6月3日‐1997年4月5日)
アメリカの詩人
ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズらとともにビート・ジェネレーションの中心人物としてヒッピーなどから熱狂的な支持を受けた。
ポエトリー・リーディングでも知られる。
チベットの僧のことわざにある、
“自分を超える弟子がいない者は師ではない”
私は彼(ボブ・ディラン)の言葉に圧倒された。
特に(『はげしい雨が降る』の中の)、「歌う前に自分の歌の意味を知る」、「山にこだまさせ、みなに伝えたい」といった言葉。
聖書の預言のようだ。
詩とは力ある言葉、人の髪も逆立たせる。
主観的真実の表現であるが、他の人が客観性を与えた時に、それは初めて詩と呼ばれる。
(映画『ノー・ディレクション・ホーム ボブ・ディラン』より)
船村徹(ふなむらとおる 1932年6月12日‐2017年2月16日)
作曲家
戦後の日本歌謡界を代表する作曲家のひとりとして、生涯で5000曲以上を作曲。
代表作に、『王将』(村田英雄)、『兄弟船』(鳥羽一郎)、『矢切の渡し』(ちあきなおみ、細川たかし)、『みだれ髪』(美空ひばり)など多数。
芸術関係っていうのはね、やっぱり先輩のものをね、見よう見まね。
それと、それをずっとやっていく。
その中で“自分”を、何か作ろうとするのが…当然そういう道なんですね。
だけど、古賀(政男)先生という人は非常にいいものをたくさん作られているけども、私は生意気だったから、「時代が違うんだ」と。
そういう気持ちでいないとね、やれない仕事なんですね、ええ。
(NHK-BS『たけしのこれがホントのニッポン芸能史』より)
古川周賢(ふるかわしゅうけん 1967年‐)
禅僧
1330年に夢窓疎石が開山し、甲斐武田氏の菩提寺としても知られる臨済宗の恵林寺(山梨県甲州市)の住職。
東大大学院で哲学を学んだ後に仏門に入る。
与太郎さん(何をやっても失敗ばかりする代表的な落語の登場人物)は今の社会にとっては規格外れ。
昔はよかったかもしれないけど、この忙しい時代には規格外れですよね。
でも、規格外れの人間を、人間として肯定できるっていうのがどっかになければいけないんだけど、今はおそらく、みんな“お上品”に認めてるふりはするけど、本当は認めてない。
師弟関係というのは、今一番苦しいところでしょ。
学校の現場見たらわかるじゃないですか、教育の現場はすごく大変、親子関係もすごく大変、社会がすごく大変でしょ、世代のギャップの問題もあるし。
惚れに惚れぬく、師弟関係は恋愛にたとえられるものじゃないですか。
だけど、あれってもう、あそこに最後は行きつくんですよ。
結局、師弟関係って難しいこと、理屈は言えますよね。
だけど、最後のところにいって、「じゃあ、なんで?」って言われたらもう、好きだからしかたないんですよ。
おそらく、それも、師匠が弟子を本当に好きで好きでいる気持と、弟子の好きで好きでいる気持ちが同じくらい強くて、しかもチューニングができてないと。
だから、両方、愛情が深いのに、上手くいかないケースっていっぱいありますよね、あれは何でダメかと言ったら、要するにチューニングですよね。
合わせてるつもりでも、どっかチューニングが違ってて、その瞬間に、あとでたぶん、もう師匠は自分が悪いわけじゃないんだけど、反省せざるを得ないですよね。
でも、(師匠は)どっかで本当に自分の道を行くって、最後にその道をやらなきゃならないし、意味があるかどうかわからないけど、やらなきゃならないし、邪魔する人間は蹴散らしてでも進む。
その人の背中を見て、僕たちはあこがれて、自分もああなりたいと思って、その人についていくじゃないですか。
悪女に惚れる人って、悪女が急に心を入れ替えて親切になったら、魅力を感じなくなるんですよね(笑)
私たちが魅力を感じるのは、無条件に自分の道を行く人ですよね、それにあこがれてるわけですよ。
だから、その時に弟子に譲れるような人って、最初からそんな毒は持ってないから、そういう人にはやっぱり惚れないですよ。
毒の結果、周りが苦しんでるのを見て、中途半端な気持ちを起こして優しくしようと思うと、今度は自分でなくなってしまいますよね。
降りてきてもらっても、(弟子は)そういう師匠はいらないって思うじゃないですか。
親切だから弟子はうれしいですよ、だけど(本当の)師匠は、こんな師匠じゃないって。
今の話は…ぼかしちゃいけないのは、じゃあ切り捨てていいということじゃないですね。
本人はわかってるから、泣きながら切り捨てるんですよ。
だけど、そんときに自分の道を行くのは、ある種の「業」ですよね。
だから、その「業」を選ばなきゃならないじゃないですか。
結局、自分が修業をする人間ですよね、師匠っていうのは。
結局、最後は自分が修業をしてるから弟子を捨てることができるじゃないですか。
最後はだから、自分で、「こういうもんだ」って認めるしかないんですね、やっぱり。
(NHK『SWITCHインタビュー 達人達』より)
倉本聡(くらもとそう 1934年12月31日‐)
脚本家、劇作家、演出家
代表作に、TVドラマ『前略おふくろ様』、『北の国から』、『昨日、悲別で』、映画『駅 STATION』など多数。
やっぱりドラマって、僕は人の心を洗うべきものだと思うんですよね。
感動させる…。
(今のドラマは)おもしろいかもしれないけど、感動するものがなくなったという気がしますね。
ただ、おもしろく、おかしく笑わしたりということに一生懸命になっちゃってるっていう。
それじゃあもう僕、なんかここで一発書こうと。
自分の能力を超えたものが書けちゃう時があるんですよ。
そういう時ね、あとで吐いたりするのね、肩こっちゃって。
で、その時に、なんでこんなに肩がこる…その代わりすごくいいものが書けるのね。
それで、ある人に相談しに行ったら、
「それは当たり前だ、お前が書いてるんじゃないから」って言われて。
「お前の後ろにいる何かが、サムシンググレートが、お前に書かせてるんだから」って言われて、「あぁ、そういうものか」と思って。
「だけど、吐き気がしちゃったりするんですけど、どうしたらいいですか?」って言ったら、「お香を焚け」って言われたわけね。
何かにのられて、自分の力でなく書けるようになって、初めてプロだというふうに思ってるけどね。
んー…自分の力で書いてるうちはプロだと思わない、僕は。
ダンサーが1週間、練習しなかったら体がどれくらい落ちるか。
ボクサーが1ヵ月休んだら、次に闘うことができるかって。
僕が、たとえば1週間書かないと、1週間目に書く時、大変ですよ。
だから毎日、何かしら書いてないとね。
何か書いて筆先が考えるように…自分を仕向けて、つねに保っていないと衰えていきますよね、退化していきますよね。
(書斎にいつも置いてあるのは)履歴書ですね、登場人物を…どんな人間がそこにいるかっていう。
その人たちの履歴書っていうのを考えていくわけですよ、1人ずつのね。
何人かの主人公を(ドラマに描かれない部分まで)作っていくわけですね。
女でいえば、どこで処女を失ったとか、そういうことまで書いてあります。
(その後、その人物がどうなっていくかに)それはすごく大きく影響しますよね。
ドラマの深さは、1人ひとりの履歴をどこまで練ったかで決まる。
ドラマっていうのは、1本の樹でいうと、その…樹っていうのは根っこから生えてくるわけですよ。
根っこがしっかりしてないと樹は育たないんですね。
根っこって何かっていうと、登場人物たちなんですよね。
みんな、樹を考える時に、葉っぱの茂り方をどうしようとか、枝ぶりをどうしようとか、実をどういうふうに美しくつけようかとか、花をどう咲かせようかみたいな上のことばっかり考えちゃって、実際その樹が寄って立ってる根っこのことを考えないんですよね。
そこから着実に時間がかかる、その作業をきちんとしてこないんで、だらしのない本(脚本)ができちゃうんですね。
それを物凄く、僕は半年、1年かけて最初の根っこを作るところに時間を使いますね。
(脚本を見せる時はプロデューサーたちの)顔を見てます、僕は。
いつも、だから目の前で読んでもらうんですね、最初の人には。
それはもう本当に、ドキドキですよ、合格発表を見に行くみたいな気分ですよね。
完璧主義者っていうことはないんだけども、自分が書いたことに対して、そりゃ責任も負ってるし、その代わりそれを押しつける義務があるんじゃないかっていう気が…こういう意図で書いてるんだから、こういうふうにやってほしいっていう。
1本の樹を見てても…こういうふうに曲がってるでしょ?
これ、だから風か何かでもって、こっちへ行ったものが、ここで立ち直って伸びてるっていう。
だから、樹はもうほんとに人生とまったく似てるから、1本1本見てて、おもしろいですよ。
(脚本を書き始めた頃は)まず、10年から15年は、いわゆる丁稚の期間っていうのかな。
左官屋さんにしても大工さんにしても見習いの期間がありますよね、だから、まず職人として、つまりシナリオ技術者になるために十数年は使おうと。
技を磨くっていうのは、もう大前提なんだよね。
(何かに)降りてこられる…その条件としては、人間がピュアにならないと降りてこないって気がするんだ。
そのピュアさ…降りてくるピュアさみたいなものを自分で備えないといけない。
それがプロだっていう気が、僕はしてるのね。
だから、(デスクに)行って座っちまえば、今でも書けるんですよ。
だけど、だんだんそこに行くまでの、歩いて行って自分のデスクに座るっていう、そこまでの時間がすごく長く感じられるようになるんですね。
なかなか、座るまでの決心と気力と体力でしょうね…それが出てこないっていう。
キミら(若い俳優たち)の年は勉強すりゃ、グーッと上がってくんだよ。
で、その時期ってのは短いんだよ。
ハタチ、30、40、ここらへんなんだよ、一番伸びるのは。
その時期を逸しちゃったらね、もう死ぬの待つだけ。
本当に今しかできない努力ってのがあるんだよ。
僕はまだ完成してないと思うし、全然。
今、進歩の途上だし、ほんとにまだまだ、これからですよね、そういう意味では。
どこか途中でもって結局、一生を終えちゃうんだと思うんだけれども。
反省なんてものは、この世界にはないですよね。
ただ新しい感動がそこで生み出せたか、今までにない感動を生み出せたかっていうことを毎回考えるっていう、そのことがなんかプロの仕事だし。
まぁ、今の僕の立場でいえば年をとったからそれは衰えるんじゃなくてね、長生きするっていう、その生きることの原動力もそこにある気がするし。
やっぱり、一本道…自分にとっての道が一本であるっていうことがプロフェッショナルなんじゃないかなって感じがしますよね、横道に逸れないっていう…じゃないかなぁっていう気がするんだけど、あんまり自信ないです。
(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」より)
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