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*マリクロ|電子書籍総合出版社 作家ブログ*
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ジャック・マイヨール(1927年4月1日‐2001年12月22日)
フランスのフリーダイバー
1976年11月23日、イタリアのエルバ島で人類史上初の素潜りでの100メートル潜水記録を樹立。
自伝をもとにした映画『グラン・ブルー』(1988年、リュック・べッソン監督)で世界的に知られる。
2001年12月22日、エルバ島の自宅の部屋で首を吊って自殺。
生前、親交の深かったダイビング・スクール経営者、成田均氏の回想。
ジャックは日本に来ると、僕が用意した古民家に滞在していました。
居心地が良かったみたいで、長い時は数週間から1カ月ほど滞在してね。
『ジャックス・プレイス』と名付けて、囲炉裏を囲んで語り合ったなぁ。
彼が死んだと聞いた時は、侍みたいというか、自分なりの武士道精神をまっとうしたんだって思った。
彼は日本の禅や武士道に強い関心を持っていたからです。
生前、「心を空っぽにして何も考えないことが潜水の極意だ」と言ってたけど、それは禅で言う“無の境地”だったと思うね。
ジャックは、もっとも“美”に重きを置いた武士の死生観に近い感覚を持っていたと思う。
醜い姿を世界に晒すくらいなら、いっそ美しく死んでしまおうって思ったのかもしれないな。
2000年頃、イタリアで『Homo Delphinus』というジャックの半生や思想を記録した本が出版されたんです。
そこには、彼が“ピミニ”と“ストライプ”と名付けた2頭のイルカと海中を泳いでいる写真があって、ある時、ジャックはそれを見ながら、
「俺の身体はこんなに醜いのか…」、「こんな姿は見たくない」
と悲しそうにこぼしていたんだよね。
(『デイリー新潮』より)
森 信雄(もりのぶお 1952年2月10日‐)
将棋棋士
育てたプロ棋士は、戦後最多の11人。
29歳で難病のために他界した将棋棋士・村山聖(九段)の師匠としても知られる。
僕も村山君も人なつこい。
でも、村山君は勝負に関しては辛(から)いところがあった。
僕は将棋が好きでも、その辛さがなくてダメだった。
僕は弟子に自分を上回ってほしいので、自分にないものを弟子に伝えたいんです
僕は、プロになった子より途中で辞めた子の方が気になりますね。
辞めた子の方に大きな責任を感じますから。
曲がった道に進まないか、3年は目を離さないようにしています。
だから、毎年必ず自宅に呼ぶ。
将棋と出会って不幸になってほしくない。
今の奨励会(日本将棋連盟のプロ棋士養成機関)は、僕がいたころよりかなりレベルが上がっています。
真面目に取り組む優等生ぐらいでは勝てない。
天才しか勝てない。
それが悔しい。
山崎君(山崎隆之八段)とか糸谷君(糸谷哲郎八段)とか、僕がいなくても強くなっているんですよ。
それより、ギリギリの子をプロに育てるのが師匠の腕の見せどころ。
そうやって将棋の世界の魅力を増していきたい、というのが一貫した僕の想いです。
(『YAHOO!JAPANニュース』より)
山下和美(やかしたかずみ 1959年8月15日‐)
漫画家
代表作に、『天才柳沢教授の生活』、『不思議な少年』、『数寄です!』など。
とにかく描くんですよ、描きまくって描きまくって、もう、「違う、違う、違う、違う」って思いながらいつも描いてる感じですね。
でもね、模索してたほうがね、突然、何か降りてきたりとかするんですよ。
意外なところに何かが出てきたりとかするんで。
そういう時に、ポーンっと飛躍できる時が、ふっとあるんで。
いつも描きながら考えてるので。
「こうしたほうがいいかな、ああしたほうがいいかな」って。
いや、とにかく描くんですよ、描きまくって描きまくって、もう…失敗は恐れないでいいんで。
上がったものは、どんなにホワイト(修正液)が盛り上がってようと(読者には)わからないから(笑)
チャレンジっていうよりも、いつも崖っぷちに身を置いている。
いつも(崖に)ぶら下がるので必死なんですよ、私も。
楽しいですよ、崖っぷちだけど。
崖っぷちにいて、なんとか乗り越えないと面白くないかなというのはありますね。
毎回、それの繰り返しみたいな感じで。
漫画…まだまだ、わかんないですね。
まだまだ、これから暗中模索で、その先どうなるかわからないなっていう…なんとなく泳いでる感じです。
なんかねぇ、せっかく漫画家やってんだから、いろいろ違うこともチャレンジしてみないと。
思いついたことはガンガンやっていかないとな、とは思いますね。
まぁ、守りに入っちゃあかんなというのはありますね。
(NHK『漫勉』より)
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