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*マリクロ|電子書籍総合出版社 作家ブログ*
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梶原一騎(かじわらいっき 1936年9月4日‐1987年1月21日)
漫画原作者、小説家。
いわゆる、スポーツ根性もの(スポ根)漫画の世界を作り上げた。
代表作に、『巨人の星』(星飛雄馬、花形満)、『柔道一直線』、『あしたのジョー』(矢吹丈、力石徹)、『タイガーマスク』(伊達直人)、『空手バカ一代』、『侍ジャイアンツ』、『愛と誠』など。
妻、篤子の回想。
(多くのキャラは)梶原の分身、全部、分身ですよ。
自分の中を、本当に深く深く追求しないと、そんなには書けないですよね。
人間は、悪からきたのか、善からきたのか。
もう、いいカッコしたって命がかかれば相手を殺してでも自分が助かりたいだろうとかっていう、そういう究極をいつも自分の中に強いていたから…だから、汚いとこも、弱いとこも、愛情豊かなところも全部自分の中を把握して、全作品、全部、うん。
(原稿執筆の前は)素振りしたり、変なものを磨きだしたり…変なことをしだすんですよ。
だから、磨いてることが重要だったんじゃないのね、その動作をしながら頭が働いていったんだと思う。
それから、ゲラを見て、仕事部屋へ入って鉛筆を削る時にはもう、すぐ書ける状態。
ほとんど間違えずに、一気に書きますね。
仕事中に廊下に出てきて、「困っちゃうんだよなぁ…飛雄馬が動かねえんだよなぁ」とかね、そういうことを独り言な感じで、仕事中に(部屋から)出てきてはいましたけど。
彼の中では、できあがってしまってんじゃない? 人格は。
それを、ストーリーをおもしろくさせるために違うふうに捻じ曲げようとしても、「飛雄馬らしくないだろうな」とか、そういう自分の中で葛藤があったみたいで。
(編集者が)「書き直してください」って言って玄関のところで原稿を置いていくと、「触るなよ」と言ったまんま、次に編集者が来るまで一切、手を入れない。
「どうであれ、最初に書いたものが一番いいんだ、出来具合が」って言ってました。
「だから、俺は書き直さなかった」って……。
主人は30(歳)で、まあ一応、名を(上げた)。
そして、いっぱい主人公を生んで、仕事、仕事でしょ。
限られた時間内で人間が使える時間が仕事だったら、子供に費やす時間はないですよ。
(子供時代)親に遊んでもらったことがないから、(自分の)子供にどう接していいか…愛情はいっぱいあったんだけれど…接することができなかった。
(子供に)1回だけ、“通せんぼ”をしたけど、子供もどうしていいかわからない、怖いパパが、なんか急に通せんぼ。
通せんぼしたけど、そのあと、どうやっていいかわからないから、すぐにやめちゃった、それ1回だけ。
可哀そうな親子関係でしたね。
(プロポーズの言葉は)「何も知らない男の純情よりも、何もかも知った男の純情を、わかって欲しいんだ」って…いやいやいや、これ(笑)…あの…この人と結婚しなくても、これ一生憶えておこうって、このセリフすごいなって。
(BS朝日『昭和偉人伝』より)
藤岡弘、(ふじおかひろし 1946年2月19日‐)
俳優、武道家
『仮面ライダー』(1971〜1973年)1号の本郷猛を演じて以来、世代を超えたみんなのヒーローに!
情報を制する者は世界を制する、とはよくいったものだなと思って。
新鮮な情報を早く手に入れて、時代を早くキャッチして、時代に取り残されないように時代を食っていくというかな、そういう時代を直視したうえで、その先を読めないと生きていかれないなという感があるんですよ、僕の中に。
もっと一歩、いや5年先10年先も読めないと無理だと、国もね、個人もそうだと思うんですよ。
そういう中で、俳優としてね、やっぱり映像が…これから私は国境を越えていくにはね、自分のアイデンティティというか、日本のそういうものを背負ったものを、世界にもっと本物のサムライの精神をね、世界に「日本人を侮るな」と、「なめるなよ」と、「日本人は、そんなに甘いもんじゃないぞ」と、「ちゃんとわかってるんだ」というね、その覚悟を決めたサムライの精神の、一本凛としたものを世界にもう1回出していきたい、という夢を持ってるんですよ。
まだまだ、あきらめないで、まだやらなきゃいけないことがいっぱいあるんで、それまで俺の体も心も精神も肉体すべてが「応えていけよ」っていう(笑)追い詰めているんですよ。
不撓不屈(ふとうふくつ)…何事にも屈することなく、逃げることなく、あきらめることなく、負けることなく、突き進む。
生きて生きて生き抜く心の持ち方、心構え。
この言葉が、いつも私を奮い立たせてくれています。
(BS朝日『ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜』より)
神谷明(かみやあきら 1946年9月18日‐)
声優、俳優、ナレーター
代表作に、『キン肉マン』(キン肉スグル)、『北斗の拳』(ケンシロウ)、『シティハンター』(冴羽獠)、『勇者ライディーン』(ひびき洸)など多数。
声の作り方、仕事を長く続ける秘訣について。
大体できあがるのが40歳まで。
そこで声ができあがるんです。
要するに、自分のポテンシャルが、そこでもう安定化するんですね。
特に、低音が落ち着いてくるんですよ、いい低音が出てくるんですよ。
で、そこからさらにボイストレーニングを続けると、上下に広がっていくんですよ。
40代から徐々に、旬は過ぎていきますけれども、50代半ばくらいまでは維持できるんです。
そこから無理せず枯れていけばいい。
30代後半から仕事は忙しかったの。
楽しいのよ、でも何か満足感が得られなくて、つねに自分で何かこうイライラしてるとこがあったんですよ。
100点取ろうと思ってさ、100点取れなかったから、プレッシャーで…たとえ少しくらいいい芝居してても、もっとできたんじゃないかっていうさ。
で、あるとき、ちょっと待てよ、俺って持ち点、平均的に何点かな? 30点としよう。じゃあ、これに1点でも0.1点でも積み重なったら、よろこぼう、ほめてやろう。
で、昨日より(上手く)笑えたとか泣けたとか、ならこれ1点…そうしたら、ガラッと変わって、もうそのプレッシャーはゼロ、(仕事を)やることが楽しくなった。
これは絶対、みんなに知ってほしい。
どうしても痛めつけちゃうじゃん自分を、できない自分を、できてるのに。
だからやっぱり、一人くらいは自分のことわかってやんなきゃ、「それは俺だよ」って思って。
(NHK『SWITCHインタビュー 達人達』より)
古田新太(ふるたあらた 1965年12月3日‐)
俳優
出演作に、映画『木更津キャッツアイ』、『真夜中の弥次さん喜多さん』、『シン・ゴジラ』、TVドラマ『夢をかなえるゾウ』、『あまちゃん』など多数。
若い頃はこんな役をやりたいとか、この人と共演したいとか思ったけど、流されるまま流されていたほうがいろんな人に会える。
そうやっていいかげんにやってきたことが、糧になってる。
依頼が来たら、スケジュールさえ合えばどんな役でも受ける。
石でもウンコでも何でもやりますよ。
プレーヤーというよりも素材として自分がいて、監督という料理人に料理していただいて完成形を待つ。
また誰かが変な役でキャスティングしてくれるのを楽しみにしてようと思います。
(『スポニチアネックス』より)
原泰久(はらやすひさ 1975年6月9日‐)
漫画家
代表作に『キングダム』など。
最初、人気なかったんですよ『キングダム』は。
本当にもう雑誌(ヤングジャンプ)の目次の最後に載ったりとかもして、「わぁ…これどうしよう」って。
僕は、話作りをするのが本当に好きで、「じゃあ、もっとおもしろくしなくちゃいけない」ってなって、すごい、いろいろ考えたんですけど…。
僕、有名な井上雄彦先生、『バガボンド』の…先生んとこで4ヵ月だけ修業させていただいた期間があってですね、そんとき井上先生が別の作品…『リアル』の打ち上げかなんかに呼んでくださって、(自分が)デビューしたあとに。
で、「キングダム、ちょっと人気があれなんですよ」って悩みを言ってですね、(すると)井上先生が「いや、もうお前、話はいいから」って言って、「目だよ」とひとこと。
「信(主人公:シン)の目が小っちゃい、黒目が小っちゃいだけだよ」って言われて。
僕は、その飲み会に行った時に、どうしたら話がおもしろくなるのかっていうのを聞こうと思って行ったら、「話はいいから」って言われて、それでもう、ビックリしちゃって。
全然、絵に気づいてなかった…それで本当に信の黒目が小っちゃかったのを大っきくしたんです。
そうしたら、そこから順位が本当に…あの、(読者)アンケートが毎週出るんですけど、ぐぐぐぐぐって上がって行って、結果、その年に1位になったんですよ。
意志や感情を伝えるのには黒目が小っちゃすぎるっていうことだと思うんです、“目ヂカラ”がやっぱり必要なんです、主人公には。
1回、そう集中し出すと他のところも気になって、絵のレベルも上がっていったんですよね。
それ(アドバイス)がなかったら、多分そのまま(連載が)終わってたと思います、人気がなくて。
(NHK『SWITCHインタビュー 達人達』より)
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