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*マリクロ|電子書籍総合出版社 作家ブログ*
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柚希礼音(ゆずきれおん 1979年6月11日‐)
舞台女優
5つの国、400人以上の団員の中で「トップ・オブ・トップ」と言われた、元宝塚・星組の男役トップスター。
星組トップスターとして6年間、舞台に立ち続け、2015年に宝塚を退団。
10時間くらい寝るんですよ。
私も若い時は本当に、朝刊配る(ような時間)まで稽古して帰るとかがいっぱいあったんですけど、やっぱりトップ時代は10時間くらい寝ないと回復しないんですよ。
全然違うんですよね、寝た次の日。
すっごい寝た次の日は、出てくるパワーが違うから、あれを味わってしまったら6時間睡眠とかでやったときに、「やりたいのに、なんかパワーが出てこない」みたいなのって、「これはイカン」と思って。
しっかり寝て、毎回このあふれ出るエネルギーを使わねば、と思うんですね。
なんか、カリスマとか言っていただくのが信じられず、現役時代も。
がんばってる時は何も出なかったことが、自分自身が一番リラックスしてて、本当の自分の姿を素で…(その時に演じている)役だったりするんですけど、本当の自分の心の奥の奥をちゃんと使ってる時こそ、「いい」とか言っていただくことが多かったから。
宝塚に入った時は、上下関係がすごくって、驚いて。
人生で、こんなに怒られたことないっていうぐらい怒っていただくので。
でも、そこで宝塚の伝統の礼儀作法を一気に教えていただくんです、音楽学校で。
なので、いろんな中学とか高校から来た「ピーピー」した子供たちが、「ピシッ」とちゃんと、まずなるんですよ。
でもやっぱり、それって最初はわからなかったですけど、宝塚が100年続いたのは本当に、すっごく上下関係がきっちりしていて、上の方を立て、一学年でも上の方の意見はすごく聞いたり、そういうことがなんか、舞台を見てると気持ちいい空気感なんですよ。
だけれども、舞台上は自分の表現を思い切ってしていいんですけど、奥にきちんとしたものがあるという。
だから、自分もいろんなことを教えていただきながら育ってきて、人に関心がちゃんとあるってことが素晴らしいなと思って。
宝塚の舞台って、みんながひとつの気持になってないと、ピラミッドなので全然成り立たないので、誰か同期が変だったら同期の責任、みたいなのもいっぱいあって。
ちゃんと、みんなでよくなろうとする、みんな誰も見捨てないんですよ。
すっごい厳しいんですけど、逆に一番あったかいんですよ。
外のみなさん、まぁ社会の話とか聞いてると、だんだん上の人が「最近の若い子はダメだ」って思っても、なんか気を使って言えないっていうから。
でもその、気を使って言えない気持もすっごいわかるけど、言うことこそが愛情だったりするのになと思って。
だって、放っとくのが一番面倒くさくないし、嫌な奴と思われないしラクだけど、「面倒くさいな、また言ってきた」と思われても言うことはすごい愛情だなと、あとあと思ったんです。
(NHK『SWITCHインタビュー 達人達』より)
土門拳(どもんけん 1909年10月25日‐1990年9月15日)
写真家
戦後日本を代表する写真家として、報道写真から著名人、市井の人々のポートレート、寺院や仏像等を撮り続けた。
1968年6月、2度目の脳出血を起こし、ほぼ1年後に意識を回復。
その後、右半身不随などの後遺症を抱えたが、1970年に車椅子で撮影を再開。
1979年9月、脳血栓症を発症し、11年間の昏睡状態の後、1990年に死去。
代表作のひとつ『古寺巡礼』で、初めて雪の室生寺の撮影に成功した翌年、朝日新聞のインタビュー記事(1979年1月5日付)でのコメント。
もう、撮るにた、た、たる人間は、い、い、いない。
日本中のふ、ふ、風景を、と、と、撮る。
そして、花。
は、は、早く、し、しないと…み、み、みんな、に、逃げていく…
(BS朝日『昭和偉人伝 土門拳』より)
湯川れい子(ゆかわれいこ 1936年1月22日‐)
音楽評論家、作詞家、翻訳家
代表作に、松本伊代『センチメンタル・ジャーニー』、シャネルズ『ランナウェイ』、中森明菜『SOLITUDE』、小林明子『恋におちて-Fall in Love-』、アン・ルイス『六本木心中』など。
好きなミュージシャンについてのコメント。
あらためて認識したのは、こっちを、じーっと見てる眼が見える人が好きなんだなって。
歌詞ですね、自分の心情にすごく根ざして、正直に物を言って、何か問いかけがある人。
こっちを、じーっと見てる眼が見えるような人、そういう人にすごい惹かれちゃう。
(BS JAPAN『オン・ザ・ロック!』より)
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