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表現者の流儀 #112 浦沢直樹

浦沢直樹(うらさわなおき 196012日‐)
漫画家
 
代表作に『YAWARA』、『MASTERキートン』、『20世紀少年』など。
 
対談者の佐野元春から「煮詰まることはないですか?」と訊かれて。
 
 
1日、ひとつのことを考え続けると脳が停止するんですよ、「もう止めてくれ」って、「そのことを考えないでくれ」って。
ホント、気絶するんですよね。
それで気絶して、スッと目が覚めるときに、「あっ、できた! わかった!」ってなるんですよ。
浅い眠りで音は聞こえるんですよ、台所で料理作ってる音とか。
それで、スッとなって、わかった、できたって。
そうすれば、なんとか解決できるっていう経験値なのかな、なんとなく怖くなくなってきたんですよね。

 
NHKSWITCHインタビュー 達人達』より)
 
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at 23:26, maricro15, -

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表現者の流儀 #111 ベン・E・キング

ベン・E・キング(1938928日‐2015430日)
ソウルシンガー、ソングライター
 
黒人コーラス・グループのドリフタ―ズのリードボーカルを経て、1961年にリリースした『スタンド・バイ・ミー』が大ヒット。
後年は団体を設立し、慈善活動を続けた。
 
 
ソングライターとしては、自分の作ったものが他の人に気に入られるのが、一番うれしい。
時々、私は自分を優秀なデモテープ制作者として見ている。
曲を作るときはヒット曲を作ろうとはせず、自分が楽しいから作るんだ。
そして、アーティストがそれを聴き、レコーディングしてくれると、ソングライターとしてうれしい、報われた気持ちになるんだ。
あぁ、じつに報われる。

 
なぜだかわからないけど、あの曲(スタンド・バイ・ミー)には独自の力がある。
そして、この曲を運んだのが自分だったことが、うれしいよ。
今や、自分がこの曲の一部になったようなものだ。
この曲は私なんかより、はるかにビッグになったよ。

 
BS-TBSSong to Soulより
 
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at 22:54, maricro15, -

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表現者の流儀 #110 荒木経惟

荒木経惟(あらきのぶよし 1940525日‐)
写真家・アラーキー
 
 
75(歳)ってのは、アタシの、あのー…勝手にライバルにしてる(葛飾)北斎っていうのがいるのよ。
彼はね、75んときに「画狂老人 卍」(がきょうろうじん まんじ)ってつけた(改名した)わけ。
それにもじって、アタシも「写狂老人」っていうふうに…。
 
焦ってんだ、(体の)調子悪いし。
何を焦ってるかっていうと、あまりにもたくさん天からの才能をもらっちゃって、使いきれるかどうか、間に合うかどうか、っていうところで悩んでんの。
 
 
男は顔がヌードなんだって。
なんつんだろ、ちょっと乾いたホモ関係っつうかさ、そういう感じ…男を撮る時はね。
そういうあれがないと、瞬間が、男同士の恋愛を、5分だけの、ふふふ。
 
せいぜい、こっちから引っ張り出そうと思ってんのは…ワルじゃないと魅力ないんだね男は。
 
やっぱり、男を撮らしたらアタシだな(笑)
 
 
結局、アタシの写真は…あのね、ずーっと自分の生きてることっつうかさ、人生の報告っつうか、説明だけなのよ。
 
見る人によってアタシの写真は決まるわけ。
どう感じてもいいわけ。
 
 
アタシの場合はね、死神が寄って来た時でしょ、癌が。
ところがアタシにはね、いつもね、女神がついてっから。
死神と女神がね、もう2ついるわけよ、うん。
だから今、ちょっとね、気分としては死神のほうが優勢だな…っていう気分だね。
死が近づいてるっていう…だって歩くのもヨタヨタしてんだもん。
 
母の死とかさ、父の死とか妻の死とか、癌の宣告とか、そういうような事件が起きるでしょ、ものすごく。
そういう時はね、なんかね、それが、そのことがもう表現してるっつうかさ、自分を表現しちゃってくれてるいうような感じだから。
その時の気分つうか、その時のことを記録するっつうかさ、撮るだけの作業だよ。
だから、たとえば…創作だとかさ、表現とかってことはあるけど、そういうんじゃないよね。
なんか起きたことの、自分自身に起きた、それもやっぱり死に近づいてるほうの事件のほうが、なんかねザワザワだね、自分自身が燃えるっつう…。
 
 
(被写体に優劣はなく写真がすべて並列なのは)
もうね、ともかくみんな、何でも素晴らしい、何でもこうね、魅力あんのよ。
だからね、平均っていうと変だけど、みんなずーっと同じになっちゃうんだね。
 
やっぱりまだね、煩悩っつうわけじゃないけど、欲情っつうかそういうの捨てたくないから、女の子撮ったりとか、そういうの忘れちゃいけないっつうんでやってるんだ、うん。
ようするに、エロ。
エロとエゴ、この2つはしっかり…。
 
 
最近はもう、ちょっと長生きしたいなと思ってる。
仙人になりたいなんて思ってるわけじゃないけどさ。
 
今ね、反省して、ラジオ体操を始めたんですよ(笑)
それを毎日続けてる、ラジオ体操。
ね、そこなんだね、きっとね毎日だろうな、やることは。
歩くことでも撮ることでも、だって、途中で心肺停止っつって停止はいけないっていう。
ずっと撮り続ける、歩き続けるとかさ、なんかね、続けてるっていうことがさ、みんな呼吸し続けるっていうことだけなんだ、やってることが。

 
NHK『日曜美術館 写狂老人“時”記〜写真家・荒木経惟 75歳の日々〜』より)
 
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at 00:42, maricro15, -

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表現者の流儀 #109 辰吉𠀋丈𠀋一郎

辰吉丈𠀋一郎(たつよしじょういちろう 1970515日‐)
プロボクサー
 
18第、第24WBC世界バンタム級王者。
2009年以降、試合は組まれていないが、2016年現在も現役続行を表明している。
 
 
自分の性格はもう変わらんし、変えられない。
自分の道を突き進むしかない。
誰のためにやってるわけでもない、自分のために。
これは、ボクシングだけじゃないと思う。
やっぱり自分の中に何かがドンピシャな時が、何かしらあるじゃない?
その時にはもう、人間、そこから抜けることはできないでしょ。
結局みんな、勘違いの延長的なもんがあるのかね。

 
NHKSWITCHインタビュー 達人達』より)
 
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at 23:02, maricro15, -

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表現者の流儀 #108 萩尾望都

萩尾望都(はぎおもと 1949512日‐)
漫画家
 
代表作に、『ポーの一族』、『残酷な神が支配する』、『バルバラ異界』など。
 
 
(手塚治虫の)『新選組』を読んでから、やみくもに「私もプロになりたい」って、そこでプロ道が着火された、パンって。
 
 
問題に直面している大人を描くのが、おもしろい。
子供も、やっぱり問題に直面していてほしい。
 
 
「キュンキュン」してくれると、うれしいです。
描いてるほうも「キュンキュン」しながら描いてるので。
「キュンキュン度合い」が高いと、描いてておもしろいですね、やっぱり。
 
 
こういう物語(現在連載中の「王妃マルゴ」)の世界が…私は救われたし、とても楽しいと思う。
そういった自分が感動したものを、また(読者に)伝えたい。
だけど、笑ったり、泣いたり、感動したりという感情を揺さぶるってのは、じつは非常に大変なことで、やっぱりこっちも必死でやらないと伝わらないです。
 
 
難しい…描いても描いても、難しい…
 
 
とにかく、1日ひまがあったら、ずっと絵を描いているわけです。
歌手の人なんか毎日歌ってるような感じがしません?
お笑いの人とかは毎日ネタを考えてるとか…なんか、そういう人がいるんじゃないかな…。
まぁ、やめなさいと言われても、やめられるもんじゃないですね。

 
NHK『漫勉』より)
 
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at 02:14, maricro15, -

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表現者の流儀 #107 羽田圭介

羽田圭介(はだけいすけ 19851019日‐)
小説家
 
2015年、第153回芥川賞を『スクラップ・アンド・ビルド』で受賞。
 
 
デビュー作の『黒冷水』って作品は、原稿用紙400枚なんですよ。
で、けっこう分厚い本なんです。
芥川賞にノミネートされるのって、なんとなく、200枚以内くらいの作品っていう、なんとなくの色があるんですよ。
だから、そのあと、僕が小説書くときには、なんとなく200枚以内の作品をよく書かされてきたんですね。
だから、芥川賞を狙わないんですけど、なんとなく候補になる枚数を書くってのは、けっこう身にしみついてたんですね。
 
 
書く前は僕、あんまり(取材をして話を)聞かないんですよ。
自分の父方、母方それぞれの祖母のエピソード、プラス、身近な題材だからこそ紙の資料は、すごい読むんですよ、数十冊くらい。
ほんとにもう、介護の制度とか体験談みたいなものを、ほんとたくさん読んで、自分の経験とか聞いた話をすり合わせて、想像力を発揮させて書く。
で、書いたあとに当事者とかから話を聞いたりして、事実確認をしてもらいつつ、新しい発見があったら、それをちょっと取り入れるくらいな感じですね。
最初に当事者に話を聞いちゃうと、せっかくいい話、ディープな話を聞いたのに、
「これは書かないでね」と口止めされちゃうんですよ。
だから、資料を読んで自分で想像力で勝手に書いて、読ませて、口止めされても、「いや、これは最初から自分が書いたから」って言って、従う必要はないんで。
安易に業界の当事者の話を書くってのは、僕はあんまりしないですね、だから。
 
 
あくまでも、小説の世界観を…伝えたいことを上手く表現できるように登場人物や世界観を設定するんで。
自分が伝えたいことを正確に伝えるためには、どうすればいいかってことだけ考えてるんですけど、こんな変な考えとか変な価値観があってもいいんだよって提示すると、
なんかその…何でも集約しがちな価値観から、(読者は)なんか自由さを感じてくれるのかなって。
そういうなんか、一息抜けるような小説になればいいなって思うんですね。
だから、すっごい濃い変な世界観の小説書いても、こんな偏ったわかりにくい世界があるんだって…じゃあ自分も世間の主流とされるものから、ちょっと外れた価値観を持ってても、その場所に居続けてもいいんだよ、みたいな。
 
 
たとえば、大多数が見たり、読んだり、接する機会の…多くの人の目に触れたりするものでは、細かくて鋭いことはできない。
小説で、いろんな自由が許されるのは、読んでる人が少ないから許されてるっていう。
だからといって、それをできる小説だけが優れているっていうわけでもないと思うんですよ、ほんとに。
 
 
小説家志望の若い学生さんとかから、「作家志望なんですよ」って言われたら、「やめとけ」って言いますよ。
まず、時代が悪いっすよね。本が売れないですからね。
今回の『スクラップ・アンド・ビルド』は、芥川賞獲ったから、たまたまちょっといつもより売れてますけど、このブースト(押し上げ)が切れたら、また全然売れなくなりますから、他の新刊とかは。
だからほんとに、みんな今から作家になろうと思ってる人は、やめたほうがいいと思う。
ほんとに才能のある人が出てきたら、それはそれでパイの奪い合いじゃないですか。
読者の人が、どの本買おうかなって書店で見てるときに、僕の本と新進気鋭の作家の本、どっちにしようかって迷われたら困るじゃないですか。
 
 
たとえば、書店に並んでる本で、自分が好きな作家さんの本っていくつかあったりしても、読んでない作家の本のほうがはるかに多いわけじゃないですか。
本の好みって、ほんとに細分化されたもんであり、知り合いの、友人の作家さんの本が好きですっていう人が僕の本を好きになるっていう確率って、かなり低いなって思うんですね。
自分の書いた感触で納得できるかどうかの闘いっていうんすかね。
結局、誰かの評価よりも、自分が書いたときの感触が一番正直だったりするっていう。
なんとなく「ダメだな」って思ってるやつは、やっぱダメなんすよね。
 
 
駅前の小さな書店とかでも僕の本を置いててくれれば、それが数十年後とかでもそうであれば、一番うれしい。
書店に本を置いてもらうっていう、昔だったら当たり前のことが今の自分にとっては夢だったり。

 
NHKSWITCHインタビュー 達人達』より)
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at 23:49, maricro15, -

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表現者の流儀 #106 五木寛之

五木寛之(いつきひろゆき 1932930日‐)
小説家、作詞家
 
 
僕は好きでやってることばっかりですから。
ですから書く仕事も、たとえば頼まれてグラビアに出るの仕事も、テレビもラジオも講演も対談も、ゴシップまでね、場合によってはその時代に発信するその人の表現の仕事ですから、そういうことを大事にしたいと思ってるし、書く仕事を一番だと思ってません。
 
 
私は自分流の、もう五木流の“他力”、大きなものに従うっていう。
死が迫ってくる時には、とりあえずジタバタせずに、まぁジタバタしつつでも、それを大きな“他力”の働きとして受け入れようという。
20世紀の戦争と難民の世紀の狭間で、いっくら自分が自分の個性なり近代的自我なりを発揮して自分の運命を切り拓いていこうとしても絶対無理な、そういう社会状況とか、そういう中で翻ろうされてきた個人が否応なしに身につけてきた考え方かもしれないと思います。
 
 
(過去、2度休筆したことについて)
なんかね、あの…昔っから途中で投げ出すクセがあるんですよ。
ですから、「まぁ、いいや」って思ってね、「もう、いいや」って、そういう感じになることがしょっちゅうあるんです。
それはやっぱり、子供の時から家族といっしょに、国民全部で信じてきた“ひとつの物語”が敗戦という中で一挙に崩れ去ってきて。
何のために生きてるかって、それはお国のために生きてたんだから、国のために命を捨てるのは当たり前っていうふうに思い込んで生きてきたわけですからね。
愛国少年だったわけだから、そういうものが一挙にして崩れてしまったあと、その中に生きてきた人間としては「どうでもいいや」みたいなところはあるんです。
ですから、人間の運命っていうのは、そういう自分が努力してもできないことがあるんだっていう、そのことを否応なしに少年時代に感じさせられてきたわけですから。
 
 
やっぱり、引き揚げ体験とか戦争とかっていうことがあると、もう人間っていうのはおそらく自分のエゴを守るために、あらゆることをしますよね。
そうした人間は生きて帰ってくるわけですよ。
たとえば、1人しか乗れないボートに3人が手をかけて、その時に「お先にどうぞ」っていうふうに他人にすすめた人は帰ってこないわけですよ。
そうすると、ものすごくエゴが強くってね、他人を足蹴にしてでもね、がんばって前へ出る人は生き残ってくるわけじゃないですか。
自分は生き残ってきたわけだから。

 
親鸞の言う“悪人”っていうのはね、悪いことする人っていうんじゃなくって、そういうふうに生きてる人間は、やっぱり他を犠牲にして生きてるってことが見えてくると、やっぱりすべて生きている人間は悪をしょってるっていうね、後ろめたい思いがありますでしょ。
自分はやっぱり、生き残った人間は悪人だとういうね、そういう感じが少年時代からずっと付きまとってたから、本当にさわやかな青春なんてなかったですね。
どっかに心に一点、そういうふうに人を蹴落として生き延びてきた人間っていうね。
なんていうかな…そういう後ろめたさみたいなものを抱えて生きてきたわけですし、それをなくしたくないと思ってんですけどね。
 
 
仏教なんていうのは、やっぱり物事には原因があるっていう考え方ですからね。
だから、(敗戦は)偶然そうなったんじゃなくて、そこには長い長い…たとえば、明治維新以来のですね、近代化の歩みっていうものがあるわけで、それがやはり、そこに投影しているわけですから、簡単に一言で「こんなひどい目にあいました」なんていうことは言えない、と僕は思ってるんです。
 
 
「五木は暗い」って、ずーっと言われ続けてここまできてるんですけれども、なんか申し訳ないっていう気持ちが心の底であってね。
自分が元気であったり健康でだったりするでしょ、病をたくさん抱えてね、どうしようもない形で闘っている人たちに対して申し訳ない気がするんですよ、元気であるってことが。
 
 
僕はやっぱり周りからは…まぁ、野坂(昭如)さんやなんかもそうだったけど、変な人だと思われてると思いますね。
なんで小説家が、あんな歌謡曲とか流行曲とか演歌とかね、あんなことに関心を持ったり、漫画見たり、いろんなことするんだ?って、思われてると思うけども、僕はやっぱり、そういう”胡散臭い“っていうか、それはすごく大事で。
 
 
僕らの戦後世代っていうのは、野坂とか大島(渚)さんとかいっぱいいますよね。
みんな、ある種のね“いかがわしさ”っていうかね、“後ろめたさ”を必死で守ろうとしてやってきた人たちなんですよ。
大手を振ってね、道の真ん中を歩く人間じゃないよっていうことをね、自分に課してやってきた人間たちで、後ろめたさってのがみんなあるんです、敗戦の中を生きてきた人間には。
 
 
世の中の移り変わりを見てみたいね。
今、ものすごい勢いでこの世の中が急回転してるっていわれてますね。
で、まぁ戦後70年経って日本が新しい方向へ今、突き進んでいこうとしている。
どうなっていくのかっていうのは、本当は1年でも長く見ておきたいっていう気持ちがありますけどねぇ。

 
NHK『団塊スタイル』より)
 
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表現者の流儀 #105 ジャニー喜多川

ジャニー喜多川(じゃにーきたがわ 19311023日‐)
芸能プロモーター、音楽プロデューサー
 
男性アイドル帝国「ジャニーズ事務所」を1962年に設立。
社長として今年(2016年)で54年目。
 
 
1970年代中盤から後半にかけて一世を風靡したアイドル・豊川誕の回想。
 
 
女性と関係を持った後、「目に輝きがない。女を知った顔だ」と指摘されてギクリとしたことがある。
「女を知らないと女を渇望する。その時の目の輝きがファンを引きつける」といわれて衝撃を受けた。
ジャニーさんの一流のプロデューサーとしての顔を垣間見た瞬間だった。

 
(『夕刊フジ zakzak』より)
 
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at 22:31, maricro15, -

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表現者の流儀 #104 阪本順治

阪本順治(さかもとじゅんじ 1958101日‐)
映画監督
 
1989年、映画『どついたるねん』(主演:赤井英和)で監督デビュー。
作品に『ビリケン』、『亡国のイージス』、『大鹿村騒動記』など多数。
 
 
思春期、ちょっと問題児だったこともあって。
引きこもりまでいかないですけど、登校拒否とか家出とか、そういうことを繰り返して。
ズル休みもね、だんだん嘘がきかなくなると、
「ホンマに病気にならなあかんなぁ」って思って、水虫の薬飲んで病気になったり、
「薬も効かんなぁ」と思ったら、「ケガせなあかん」と思って、家の階段をダイビングしてケガしたり。
最終的には、文鎮で頭殴り続けて、救急車で運ばれたら、頭蓋骨にヒビが入ってた。
その時に、ずっと気づいてるんですよ、このままではダメだとわかってる、167歳。
ずっと部屋にいて、もう言えば“想像と妄想の世界”だけ。
で、このままじゃアカンと思った時に、「あっ、俺、なんか…映画に興味持ってたな」ってのがあって。
「映画監督になりたい」と思うと挫折するなと思ったの。
「なる」と決めようと思った、映画監督になるって決めようと……。
 
 
(初めて監督して)「俺、これ終わったな」っていう感じやったね。
あのね、初めて監督したらわかりますよ。
初めて監督すると、自分の目の前で繰り広げられている演技、あるいは映像っていうものと、それをまあね、じゃあラッシュっていうものに映しますと、全然自分が思ってるものと違う。
それは、カメラマンが悪いわけでもなんでもない。
自分の“つたなさ”が…誰しも新人監督って「俺、こんな力しかなかったのか…」って必ず思うんですよ。
意気揚々とね、監督デビューだと…でも、「これはあれかなぁ…」って。
でも、映画というのは撮影だけじゃないんですよ。
編集。
どこを切り取るか、どういう効果音楽を入れるかで、みるみる様変わりするんです。
で、勝手にショックを受けてたんだけど、紡いでいくと、「なるほど」っていうとこに落ちるんだけども、撮ってる時はこれもう、とりあえずこれで“エンドマーク”つけようと、
もう、納品したら、(監督生命が)「終わりかな…」っていう。
逆にいうと、切迫感が生まれてきた。
 
 
不思議なんですよ。
男が主役だと、ある種、自分の憧れ、「こんなことはできないけど、やれたらいいな」っていう、ある種、見上げた距離感もある。
女性が主役になるとね、なんか物語考える…「もし、僕が彼女だったら」っていうアプローチになったんですよ。
野郎の場合は、「もし、僕が彼だったら」っていう発想じゃない、アプローチは。
(藤山直美主演の映画『顔』を撮影した時)「もし、僕が彼女だったら」っていう向き合い方。それは、自分でもびっくりした。
男女ではなくて、人として共通項を持とうとしたんだね…人間として。
 
 
(映画を撮る時のとっかかりは)役者。これはまた、言葉遊びなんですけど、“俳優”ってね、“人に非ず、人を憂う”って書くじゃないですか、漢字でね。
人に非ずってのは別にね、人非人(にんぴにん)って意味じゃないですよ、世間と一緒じゃなくていいと。
あと、人を憂うでしょ。憂うってまぁ、気にかける。
どうやったって役者って、今の自分とまったく重なり合う役もくるかもしれないけど、やっぱりその、来た役柄と自分の交わりも、あるかもしれないし、ないかもしれない。
でも、やってる仕事は他人様をずっと考えるわけでしょ。
他人様を考えるっていうのは、その人が生まれ育った環境も一緒に考えるじゃないですか。
だから、非常に素晴らしい商売だなって思うわけですよ。
つねに自分の仕事のスタートは、自分じゃない誰かを理解しなきゃいけない、感じなきゃいけないっていう…それって普通の人にはないでしょ…生業としてね。
役者が好きなんですよ。
かっこいい言い方をすれば、映画は人間の顔を撮ることだっていう…それはストーリーってのは必要だけれども、「顔が、この映画を引っ張っていく」っていうふうになればいいって思う。
顔なんですよね、惹きつけられるなっていう顔。
たぶん、「この顔作るまでには、おもしろいことあったんじゃないか」とかね。
そういうのを見ようとしてしまうっていうところが、どうしてもあって。
 
 
やっぱり当然、自分で脚本書いて、映画にして、自分のオリジナリティだけで通したいっていうのはあるけど、自分の“生理”ってある程度一定してるなと。
だからジャンルを変えていくだけ。
ABCっていうセリフがあったら、いきなりXに飛びたい気分とか一緒なんだよ、どの(ジャンルの)脚本書いても。
そういうことか(と思って)、人の脚本を受け入れよう、と思い始めた。
自分の発想じゃない企画も受け入れようと、変えていったんですよ。
その“自己模倣”っていうのを一番恐れるようになった、僕は。
 
 
まず、撮影に入りますっていう時に、「これはしないでおこう」っていうことを先に決めますね。
やりたいことの前に、やらないことを決める。
 

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