2021.10.31 Sunday
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2014.08.22 Friday
「色即是空」の本当の意味
昔は「授業参観」といったが、今は「学校公開日」というらしい。
大抵、金土の2日間あるのだが、1学期最後の公開日は、
妻は前日にたっぷり見学したから、土曜は行かないという。
それで土曜の午前中、
2人の息子の様子を観るために、小学校に出かけた。
1年生と5年生の教室に代わる代わる顔を出して、
息子たちの様子をチェック。
父を見つけて恥ずかしがり、嫌がる素振りを見せる次男K。
とりあえず、授業は聞いているが、
心はどこかほかの場所にでもあるかのような長男Y。
チャイムが鳴り休み時間、もう一度、5年生の教室に行ってみた。
するとYは机に座り、静かに読書をしている。
気づかれないように、こっそり後ろから近づき、
何を読んでいるのか確認すると……
それは、手塚治虫の『ブッダ』だった。
なぜにブッダ?
10歳にして仏の道に目覚めたというのか?
理由を聞けば、「ブッダという人に興味を持った」という。
なぜ、人間には差別や身分があるのか疑問なのだという。
古代シュメール人の末裔ともいわれる、
ブッダ=釈迦=ゴータマ・シッダールタは、
シャカ族の王子の座も妻も息子も捨てて、
悟りのために修行の道に入り、
苦行の末、覚醒に至ったあと言ったという。
「悟るためには苦行は必要なかった」と。
輪廻という「永遠の生」という苦しみから解脱し、
覚醒したというブッダだが、
この世での死後、彼はどこに行ったのだろうか?
そして、今どこで何者となって、何をしているのだろうか?
釈迦は、地球生命系の輪廻からは抜け出したが、
宇宙の輪廻からは抜け出ていないのではないか?
さすがの釈迦をもってしても、
宇宙の永遠から抜け出すことはできないのだろうか?
あぁ、永遠は恐ろしい……。
「永遠」の恐ろしさを初めて感じたのは、
夭折した将棋の棋士、
村山聖(さとし)という人のドキュメント番組を観たときだった。
もう何年前だったのかも、番組の名前も思い出せないが、
彼の鬼気迫る様子は、永遠の苦しみに満ちていた。
5歳のときに腎臓の難病、ネフローゼと診断された彼は、
小学5年生まで入院生活を送り、そこで将棋と出会ったという。
中学1年で師匠に弟子入りし、17歳の年にプロデビュー。
羽生世代と呼ばれた彼は、
あの羽生善治さんにタイトルの実績では劣ったものの、
生涯対戦成績は6勝7敗だった。
その後、将来を期待されるも、27歳のとき、膀胱がんが見つかり、
29歳で惜しまれながら、この世を去った。
薄れゆく意識の中、最期の言葉は、「……2七銀」だったという。
それを聞いて、恐ろしくなった。
彼は、死後もひとりで将棋を指し続けるだろう。
その苦しみ、孤独。
永遠ほど恐ろしいものはないと感じた。
たとえば、『火の鳥 未来編』の山之辺マサト。
火の鳥から永遠の生命をもらってしまったばっかりに、
死ぬことができず、肉体が滅び、意識体となっても、
ひとり死なずに地球の営みと、人類の再生を見続ける。
手塚治虫という人も、やはり時空の旅人として、
永遠の恐ろしさを知っていたのではないかと思える。
そうして死後、地球時間で25年が経っても、
おそらく彼は今でも、どこかの次元のどこかの星で、
ひとり、漫画を描き続けているに違いない。
永遠の恐ろしさを知っていただろうに、
そこからは抜け出せない人間の救いのなさよ。
「救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります」
と、『文学のふるさと』に書いたのは、坂口安吾だった。
古代の日本人は、絶対的に救いようのない悲しみの中に生きていたが、
そこに仏教が入ってきて、悲しみに慰めを与えてしまった。
だから、芭蕉の世界も悲しみの中に慰めを見出してしまったがために、
悲しみの中に絶対的な深さがない、
と、『歌の円寂する時(正・続)』で論じたのは、
民俗学者で国文学者、歌人の折口信夫だった。
結局、ブッダのいう解脱など、じつはなかったのではないか?
それを「ある」としたのは、
本当の永遠が、あまりに恐ろしく、救いがなく、
人間という存在には、どうにもできないことだとわかってしまったから、
だからブッダは、「色即是空」、
すべては「空」だといって人々を慰めたのだ。
だから、死後の世界や霊魂の存在については、
一言も弟子や民衆には言わなかったことにして、
「この世は美しい」と言い残して、仏陀は入滅したのだ。
そうしてブッダは、またどこかの次元の、
どこかの宇宙の、どこかの星で、
悩み、苦しみ、絶望して、人々を慰めているのかもしれない、永遠に。
あぁ、お釈迦さんも大変だなぁ。
そう考えれば、もう自殺なんてバカらしくてできなくなるね。
なぜなら、永遠に死ねないのだから。
さぁ、ビール飲んで、ごはんを食べて、家族で話して、
ウンチして、汗を流して、風呂に入って、寝よう。
この世も、あの世も、そんなもんだ、息子たちよ。
at 00:42, maricro15, -
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2014.08.11 Monday
アンパンマンからのメッセージ
ある知人から、メールが届いた。
そこには、こんな一節が書いてあった。
「自分が何者か知りたいから、自分を知るのを目的に書いている人は
減ってきている気がします」
いってしまえば、ライター稼業というのも、
食べていくために書いているわけだが、
それでも、それだけでは続けていけないというところはある。
今年の春頃、ある原稿が書けずに苦しんだ。
いざ書こうとすると、頭の中がカラになって、何も出てこない。
これは生まれて初めての体験だった。
書けない苦しみを体感した。
ある日、悩みながら東京メトロの表参道駅のベンチに座ると、
隣に小さな紙袋が置いてあった。
恐る恐る、中をのぞいてみると、
アンパンマンの人形がひとつ入っていた。
彼は袋の中で仰向けになり、ニッコリ笑っていた。
ドキリとした。
「今度は何が来るのか?」と思った。
次男Kが生まれる前、ある早春の夕方、自転車に乗っていた。
すると、前輪が何かを踏んだ。
当たりどころがよかったのか、
踏み潰さずに、それは右側にはじき飛ばされた。
自転車を降りて確認してみると、
それはプラスティックでできた、赤ちゃんマンのおもちゃだった。
その場に放っておくのもしのびなくて、
彼を(男の子らしい)をポケットにしまって持ち帰った。
その1週間後、妻が次男Kを身ごもったことがわかった。
赤ちゃんマンがわが家にやって来たのは、お知らせだったのかどうか。
だから今回、わが家に何がやって来るのかとドキリとしたのだ。
愛と勇気だけが友達のアンパンマンが、
一体、何を運んで来てくれるのだろうか。
「アンパンマンのマーチ」の歌詞は、
やなせたかしさんが、太平洋戦争のとき、
特別攻撃隊(特攻隊)で散った弟を想い書いたものだという。
真実は定かではないが、笑顔のヒーローのマーチにしては、
自己犠牲の精神と相まって、何かさみしい、物悲しさがあり、
哲学的なにおいもあったのは、そういうことなのかもしれない。
何のために生まれて 何のために生きるのか
答えられないなんて そんなのはいやだ
何がきみのしあわせ 何をしてよろこぶ
わからないまま終わる そんなのはいやだ
いやだね、わからないまま終わるのは。
それを知るために生まれてきたのでなければ、
自分の人生は無意味なものになってしまう。
子どもがいなかった、やなせさんが絵本を描き、
妻に先立たれて、渡す家族がいなくても、
大きな遺産を残してしまったのは、
どこか人生の皮肉にも感じてしまうが、
生まれた役目に忠実に生きた結果が、彼の人生なのかもしれない。
やなせさんは、こんな言葉を残している。
文章が上手い人じゃなくて、
人生が小説家のようになってる人が小説家。
みんな人生で書いてるんです。
何かがあって、その軌跡の上を滑っていくわけ。
漫画家もそう。
何のために生まれて、何をして生きるのか。
これは僕の人生のテーマソングでもあります。
僕はみんなが楽しんで、よろこんでくれるのが一番うれしい。
でも、すぐにそれがわかったわけではないんだよね。
三越の宣伝部でグラフィックデザイナーをやりながら、
漫画を描き、収入が会社員の3倍になったので独立したが、
その後、漫画の仕事が激減。
放送作家、舞台美術制作、編集者、コピーライター、作詞家、
演出家、シナリオライターなど、
周辺での仕事を多くしてきた人らしい言葉だ。
さぁ、そろそろ、アンパンマンが何のために書くのかの答えを、
自分に運んできてくれるかもしれない。
それは楽しみでもあり、恐ろしくもあるが、
そのときを待ちながら、
今日もせっせと、食べるために書くことにする。
at 01:08, maricro15, -
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