2021.10.31 Sunday
スポンサーサイト
at , スポンサードリンク, -
-, -, - -
2014.07.24 Thursday
年をとるってどういうことよ?
ここまで生きて年を重ねたうえで、
地球時間での、この先の「未来」を考えると、
どうしても直面せざるを得ないことがある。
「老後」である。
10年ほど前、インドに撮影に行ったとき、
ある夜、ヒンドゥーの聖地のひとつ、バラナシのレストランで、
あまり辛くはないが、美味しい本場のカレーを食べていた。
すると、現地コーディネーターのインド人M氏が言った。
「今ね、となりのホテルにすごく当たるっていう占い師が来てるの。
行ってみる?」
女優やヘアメイクさんら女性陣は盛り上がる。
まぁ、M氏と占い師が”グル”な可能性は十分高いけれど、
「行ってみますか!」ということで、
5人くらい引き連れて、インドの”カリスマ”に会いに行った。
インド占星術師だという彼は、「何を占うか?」と訊いてくる。
「あなたが見えるものを教えてくれ」と僕は答えた。
「お金」「仕事」「恋愛」……日本でもおなじみの項目を、
言われるままに勝手に占ってもらっていると、彼の手が止まった。
そして、何やら紙に書き始めた。
「Life……long long life 91」
そうして彼は、ニヤリと笑った。
これは困った、と思った。
91歳まで生きなければいけないとは!
まったく考えもしなかった……。
しかし、可能性はある。
母方のばあちゃんは96歳まで生きて、老衰で逝った。
もっとも、父方のじいちゃんは49で早死にしたそうだから、
遺伝子的には、なんともいえないところではある。
しかし、多くの人が望むように、長生きは本当に幸せなのだろうか?
去年の「週刊ポスト」にこんな記事が載っていた。
ある老人のインタビュー。
3:00くらいに目が覚めて、
5:00までNHKの『ラジオ深夜便』を聴く。
その後、外に出て掃除をする。
5:40、明治神宮の門が開くのと同時に入園。
6:30、ラジオ体操をする。
「『ラジオ深夜便』聴いて、大晦日も元旦も、
雨が降っても雪が降っても、ほとんど毎日ここに来てラジオ体操する。
まぁほんと、ラジオ体操くらいしかやることないの。
もう、何にも楽しみないからね」
それ以外の時間、彼は何をしているのだろうか?
高齢者の犯罪でもっとも多いのが窃盗。
男性は5割、女性は8割にも及ぶという。
その中で、男性の6割、女性の9割が万引き犯らしい。
とくに、一人暮らしの高齢者女性の割合が高いのだそうだ。
超高齢社会といわれる今の日本では、
認知症患者が約400万人、その予備軍が約460万人、
65歳以上の4人に1人が「ボケ」だという。
また、75歳以上の老人の約3割が要介護者というデータもある。
認知症の徘徊老人が轢かれた列車事故で、
遺族が鉄道会社から数百万円の損害賠償請求。
死にたいと懇願する老妻の首を、介護に疲れた老夫が絞める。
日本尊厳死協会のHPによると、
2012年の会員数は、男性39,958人、女性80,259人だそうだ。
内閣府の発表では、2013年の自殺者は27,283人。
実際の自殺者数は、その何倍にもなるという話もある。
生きたい人もいれば、死にたい人もいるが、
何もやることがない、何も楽しみがない人生は、
考えただけで怖ろしい。
未来が見えなければ、虚無に堕ちる。
ジャズピアニストの上原ひろみさんが、
今年、84歳になったアメリカのジャズピアニスト、
あの故マイルス・デイビスにも影響を与えたという、
アーマッド・ジャマルに、尋ねたという。
「自分のアルバムで一番好きなアルバムは?」
すると彼は、こう応えたそうだ。
「Next One!」
この世の人生で自分の「生命」が終わってしまうと考えるなら、
老人になったとき、その先の未来の存在など、
到底、感じることはできないだろう。
老いらくの生は退屈で、むなしいものとしか思えないかもしれない。
でも、この世での生のあとに、さらに無限に生命が続くとしたら?
とても、80年、90年の人生で、
退屈だとか、むなしいなどとは言っていられない。
同時に、なぜ生まれてきたのか? 生きる意味とは?
などと悠長なことも考えていられない。
なぜなら、永遠であることが生命の本質なのだから、
この世の人生など、ほんの一瞬の通過点のようなものだ。
そうであるならば、ただただ、この世の瞬間もしぶとく生きていく。
丈夫な身体を持ち、
若い女の尻を見ては、「こりゃ、たまらん」などとつぶやき、
酒を飲んでは、言いたいことを言い、
孫娘と楽しく会話をしては小遣いをねだられて、
「しょうがねえな」と言いながら、くれてやる。
そうして、「人生なんてな、意味なんかねえんだよ」と、
若いやつらに、うそぶく。
そんな爺さんに、私はなりたい。
at 23:00, maricro15, -
-, -, - -
2014.07.07 Monday
僕がパパではなくなる日
昔は気にならなかったことが、あるときから突然、
気になり始めることがある。
最近、自分が気になり始めているのは、
子どもに何と呼ばれるのがいいのか、ということ。
長男Y
が10
歳になり成長して、
大人になり始めたから感じてきたのだろう。
はたして、このまま「パパ」でいいのだろうかと。
自分は、おとうさん、おかあさんと呼んできたが、
いつの頃からか、それを呼ぶのに抵抗というか、
気恥ずかしさのようなものを感じて呼べなくなってしまった。
子どもが生まれてからは、おじいちゃん、おばあちゃんなどと、
つまらない呼び方をしているが、そのほうがラクだから、
そう呼んでいる。
さて、問題はこれから息子たちに何と呼ばれるかだ。
世の中には、どんな呼び方があるのだろう?
みんな、何と呼んだり呼ばれたりしているのだろう?
おとうさん…何か遠い。
とうちゃん…「クレヨンしんちゃん」はこう呼ぶとか。
ダディ・ダッド…そんなふうに呼んでる日本人いるのか?
親父、とっちゃん、おとうちゃま、父、父上、とと、オトン、
おとっつあん、おとう、とうさん…
どれも、いまひとつピンとこない。
「ねぇ」とか、「あのぉ」とか呼ばれるのも、
どこかで親子関係が失敗したようでせつない。
ちなみに、ヘブライ語では「アッバ」、
江戸時代までの日本の皇族は、
「おもうさん」「おたあさん」と呼んでいたという。
日本語の履歴書(井口樹生 慶応大教授 著/講談社)
という本によると、
そもそも、「おとうさん」「おかあさん」という呼び方は、
明治に入ってから文部省が普及させたそうだ。
ということは、けっこう新しい言葉らしい。
さてさて困ったなと思っていたら、いいものを発見した!
ある言語学者によると、鎌倉時代の頃、
「ちち」のことを「ティティ」と呼んでいたという。
これは、いいぞ。
いわゆるキラキラネームのようでいて、どこかロックな響きがある。
ティティ……
ちなみに、「はは」は「パパ」と呼んでいたらしい。
母はパパで、パパはママだった!
あぁ、すべては同じだった……パパもママもいっしょ。
僕がパパではなくなる日が来るのだろうか?
来るのだろうなぁ。
そして、ティティになる日は?
at 23:13, maricro15, -
-, -, - -