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“今”の新しいとらえ方(2)胡蝶の夢は永遠に続くらしい

10月の初めころ、我が家のベランダにはアサガオがまだ咲いていた。
 
この数年、季節の変わり目があいまいで、
折り重なるように季節が進行しているようだ。
 
同じように、どうやら次元も折り重なって、かぶって存在しはじめたようで、
次元トリッパーにとっては、いい時代が到来した。
「いい波が来てるから、乗ってっちゃおうよパラレルに!」という具合だ。
 
ベランダでアサガオの花を見ながらタバコをふかしていると、
1匹のアゲハチョウがどこからともなく飛んできて、
僕の周りを旋廻しはじめた。
 
それで決めた。
その日の夜の通夜には行っておこうと思った。
 
大学の先輩のJさんが死んだというメールが届いたのは、2日前のことだった。
何かの事故で死んだというが、詳細はわからない。
ただ、彼を久しぶりに思い出し、アゲハがやって来たときに、
「死にたかった……」という彼の感情が押し寄せてきたから、
それを確かめてみたいと思った。
 
テレビ屋の仕事をしていたJさんの通夜には、
芸能人やら、芸能事務所やらからたくさんの供花が届けられていた。
何人かの芸能人も来ていて、
僕の知らないJさんの人生を少し垣間見た気がした。
 
通夜の後、サークルの先輩後輩20数人が集まって、酒を飲むことになった。
その中に、Jさんと仲がよかったギタリストのSさんを見つけたから、
Jさんの最後の様子を訊いてみた。
 
Sさんは多くを語らなかったが、
Jさんが死にたかっただろうことをたずねると、
「それは否定しない」と言った。
聞けば、もう何年もうつ病で、薬が手放せなかったそうだ。
 
するとまた、Jさんの感情が押し寄せてきた。
「後悔している……」という。
 
その念は、僕なりに理解できるものだったから納得した。
 
Jさんも、もう少し経ったら(地球上の時間軸でいえばだが)、
この3次元地球では現実だと思っていた40数年の自分の人生自体も、
じつは夢のようなものだったと気づくかもしれない。
 
夢ならもっと楽しんでおけばよかったと、
夢なら悩んで苦しむことも滑稽なことだったと、
あっちの世界に行って夢から醒めて、初めてわかることもあるだろう。
 
紀元前3世紀くらいの中国に、荘子(そうし)という大思想家がいたらしい。
らしいというのは架空説もあるからだが、
荘子は道教の始祖の一人とされていて、無為自然を唱えたとされている。
現代では道教は、TAO(タオ)とも呼ばれている。
 
伝説的な人だけれど、確かにこの地球にもいたのだろうと思う。
ただ、優れた次元トリッパーだったから、
人によっては、彼の存在を実感できなかったのかもしれない。
 
俗世間から離れ、欲望から離れ、自分の外にあるものを疑い、
世間という幻に惑わされず、自分の中の最深部に向かっていくことで、
自然の理、宇宙の法則に沿って生き、自由自在の境地に行こうとした。
こうした考えは、その後の日本や中国の文学にも大きな影響を与えたといわれる。
 
ちなみにインドでは宇宙の法則を「ダルマ」といい、
ダルマに沿った思考、行為をしないことで生じる摩擦、歪みを「カルマ」といった。
 
前世では人を傷つけ、騙し、裏切り、悪いことをしたから、
今生での自分は、そのために苦しまなければいけない、
という因果応報がカルマではないということだ。
それは洗脳を使う人種の常套手段、誇大解釈の濫用のようなものだということだ。
あぁ、外は危険がいっぱいだ。
 
ところで、荘子が書いたとされる寓話に「胡蝶の夢」というものがある。
 
あるとき、私(荘子)は夢の中で一匹の蝶になった。
自然と楽しくなり、知覚はどこまでも拡がり、最高に気持ちがいい。
自分は蝶になりきり、その飛びを楽しんだ。
どれくらい経っただろう……
もはや、自分が荘子という人間だということすらわからなくなっていた。
 
しかし夢から醒めると、なんと自分は荘子だった!
 
自分は夢の中で蝶になったのか、
それとも、蝶の夢の中で荘子となっているのか、
どちらが本当なのか?
 
この世の人間の目で見れば、
荘子という人間と蝶では、たしかに形の上では違う生き物だが、
すべての境界を越えて、自由に見て、感じることができるならば、
どちらも変わりなく、本当の自分だ。
 
ただ形が変わっただけ。
これが、物の変化というものだ……
 
荘子は、生も死も、あの世もこの世も、人間も蝶も、違いなどなく、
ただ、変化があるだけだと、あっさりと言ってのける。
 
そうであるならば、大いなる変化のただ中で、
今は、この“今”を存分に楽しみ、生きる、
だた、それだけだ。
 
その先には、また永遠に続く変化の途中の“今”があるだけだ。
 
ねえ、信じられるかい?
永遠だなんて!
終わりがないだなんて!
 
どこまでいけばいいのかなんて、意味がないことだなんて!
終われないだなんて!!
 
信じられるかい?
 
でも、本当のことなんだよ……
 
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at 23:55, maricro15, -

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理想の人、本居宣長

本居宣長(もとおりのりなが)という人がいる。
いや、いた。
 
もう300年近くも昔、江戸時代の国学者だった。
日本史の教科書に、「国学の四大人(しうし)」として載っている。
 
伊勢国・松阪の木綿商人の家に生まれた宣長は、
21歳のとき、兄が死んだために家を継いだ。
しかし22歳のとき、母の勧めで医学を学ぶため京都に遊学した。
 
のちに地元に戻って医者として生計をたて、家族を養った。
 
昼は医者をやりながら、夜になると自分の庵にこもって、
ライフワークの研究にいそしんだ。
主な研究対象は『古事記』と『源氏物語』だった。
 
『源氏物語』の研究から、日本文学、日本の美の根本に通底する、
ひとつの理念、思想、情感……まぁ、いろいろ言葉ではいえるのだろうが、
とにかく、「もののあはれ」を発見したといわれる。
 
また当時、解読不可能といわれた『古事記』の研究に35年を費やし、
大著『古事記伝』を書き上げた。
 
宣長のもとには伊勢国をはじめ、尾張国や全国から門人(門下生、弟子)が集まり、
死の間際には500人ほどが学んだという。
職業構成は、町人がおよそ34%、農民がおよそ23%、
その他……という割合だったらしい。
 
本の貸し借りや読み方に、こだわりがあったとかで、
「借りた本を傷めるな、借りたらすぐ読んで早く返せ、けれど良い本は、
多くの人に読んでもらいたい」
と書き記していたという。
まぁ、当然といえば当然のことだが。
 
そうして、71歳で亡くなった。
 
きちんと仕事をして生計をたて、時間を作って好きな道を研究する。
書物を記して、それ読んだ全国の人が「師匠!」といって弟子になる。
そして、私塾には同じ志をもった者同士というか、
まぁ、好きものの国学・文学マニアが集まって、
ああでもない、こうでもないと議論して、
師匠の博識に驚嘆し、仲間の感性に嫉妬したりして、それでも、
「なんかさぁ、思いが通じる、話せる仲間がいるって、いいよな」
とかなんとか言いながら、「学び」に酔い、自分の道を進む。
そんな弟子たちの姿を見て、楽しむ……
 
あれ? これって俺の理想じゃないかしら?
と気づいてから、本居宣長をひとつの指針のようなものにしている。
こんなふうに生きることを、とりあえず理想にして、やっていこうかなと。
 
ところで、日本神話に八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)
という“知恵の神”が登場する。
有名な「天岩戸伝説」で、お隠れになった天照大神を説得して、
なんとか岩屋から出てきてもらうために、他の神たちとあれこれ作戦を練って、
「祭祀」というイベントを企画主催して、成功させる神だ。
 
この神について、本居宣長は『古事記伝』の中で、こんな感じで説明している。
「思兼とは、数人(あまたびと)の思慮(おもいはか)る智(さとり)を一(ひとり)の心に
兼持(かねもて)る意なり」
 
多くの人の思いや智恵を一つにまとめる、という意味なのだろう。
 
このブログのタイトルには、そんな思いもこめている。
 
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at 00:30, maricro15, -

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