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*マリクロ|電子書籍総合出版社 作家ブログ*
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“サスペンス映画の神様”“ヌーヴェルバーグの神様”ともいわれる、
アルフレッド・ヒッチコックは、当時の映画界に革命を起こし、
ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォー、
スティーブン・スピルバーグ、スタンリー・キューブリックなど、
多くの映画人にも影響を与えた名監督だが、
その名作の制作過程には、妻アルマの存在が欠かせなかったという。
ヒッチコックは映画を作ると、まずは妻と親友を集めて、
プライベート上映会を開いたという。
そこで、みんなの意見、感想を聞くわけだが、大抵の人は、
「これは、おもしろい」「傑作だ!」と言ってくれる。
しかし冷静沈着な妻アルマは、ピシャリと一言、
「ぜんぜんダメね。これでは公開できないわ」
と、いつも容赦ない意見を言い放ったという。
実際、彼女は映画編集者にして脚本家であり、その指摘は的を得ていた。
たとえば、サスペンス映画の傑作『サイコ』の伝説のシャワーシーンでは、
殺された女優がまばたきしていたカットを指摘したり、
あの有名な効果音や音楽は絶対に必要だという彼女の意見を取り入れて、
再編集を施して、本編の完成に至ったという。
妻が同業の仕事人ではなくても、物書きは、やはり編集者に原稿を見せる前に、
身近な人に読んでもらう人もいるようだ。
たとえば村上春樹さんの場合、原稿を書き上げるとまず妻に読んでもらうという。
「小説に関しては、僕はいちおう彼女の批評を聞いて、
それについて何日も議論し、意見としてとるべきところはとり、
とらないところはとりません。でも、とる・とらないにかかわらず、
議論しているうちに、“なるほど、そうだな”というものは、
だんだん浮かび上がってきます。一人でこもって仕事をしていると、
どうしても独善的になってしまう部分は出てきますから。
ちなみに、うちの奥さんは本はよく読みますが、
最近はほとんど小説を読まないみたいです。
(中略)
うちの奥さんは(冗談抜きで)遠慮なく率直に批評しますので、
普通の人はきっと頭にくると思います」
(『「そうだ村上さんに聞いてみよう」と世間の人が村上春樹にとりあえずぶっつける
282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』朝日新聞社刊)
最近、ベストセラー小説を連発している旬な作家の1人である百田尚樹さん。
彼もまた、同じようにまず最初に原稿を妻に読んでもらうという。
TV『情熱大陸』で、語っていた。
「僕の本は必ず最初は嫁さんと息子に見せる。
3人読んだうちの2人が、ここはおもろなかったという部分は直すね、
自分が面白いと思っていても」
さて、自分の場合はどうかといえば、やはり原稿は、ます妻に読んでもらう。
ヒッチコックや村上春樹の妻ほどではなくても、やはり僕の妻も手厳しい。
2、3ヶ月前にも、こんな感じのやりとりがあった。
「あのさ、自分でわかってるよね?」
「うん……」
「じゃあ直しな」
「……うん」
わかっているので、それ以上は何も言えないし、言いたくもない。
ところが先日、書き上げた原稿の最後に、こんな一文が書いてあった。
「最初、たるい部分がありましたが、いい仕上がりになっていると感じます」
かのソクラテスが残したという言葉。
良妻を娶(めと)った者は幸せ者になれる
悪妻を娶った者は哲学者になれる
ちなみに、世界の三大悪妻は、
ソクラテスの妻、クサンティッペ、
モーツァルトの妻、コンスタンツェ、
ナポレオンの妻、ジョゼフィーヌということになっているらしい。
どうやら僕は、哲学者にも音楽家にも、
ましてや、英雄にもなれないみたいだ。
NHK朝の連ドラ「あまちゃん」の鈴鹿ひろ美が好きだ。
鈴鹿さんは、女優だ。
天然キャラで、生活のあれこれに関しては、何もできない。
朝食は朝5時に起きて、ジューサーで野菜やらフルーツやらを適当に放り込んで、
ドロドロの“青汁”のごとき液体を口に流し込む。
そして、発声練習。
夕食は、行きつけの「無頼鮨」で、カッパ巻きをつまみに焼酎を飲む。
女優しかできない。そうとしか生きられない女。
それでも、天野アキには何かをしてあげたい。
女優として、自分の後を追いかける新人に、
何かを伝えたい、何かを託したいと思い、
自分なりのやり方で、アキに何かを伝えた。
息子には、何かを伝えたい、何かを託したい。
それは、男として、父として誰もが、それぞれの形で思っているだろう。
自分もよく、そんなことを思っている。
そこが、母と娘の関係と決定的に何かが違うような気がする。
夏ばっぱと春子、春子とアキ、この母娘3代には、
託したいことなどない。
女である母は、宿し、産み落としたときすでに、
伝えるべきことは伝えているのかもしれない。
母の前に、もしくは後に、女が求めるのは、自由にふるまう蝶のような軽やかさだ。
やりたいようにやる。
花の回りを、ひらひらと飛びまわってこその蝶だ。
でも、春子は飛ぶのに失敗した蝶で、
今、ここでもう一度、自分の飛び方を見つけようと、もがいている。
「あまちゃん」は、もがく春子の物語なのかもしれない。
対照的に、鈴鹿さんは芸能の世界では華やかに飛んできた。
女優で、おばちゃんだけど、でもどこか男だ。
寿司屋では気前よくおごるし、服はいつも黒だ。
プロデューサーの太巻は、男だけれど、女々しい。
そこで、この2人は結びついているのだろう。
でもやはり、鈴鹿さんは女優。人生が役者なのだ。
今年10歳になる長男Yは、生まれつき右手と右足が上手く使えない。
1歳前、10ヶ月の頃に右手を動かさないことに気づいた。
これは困ったことになったと思った。
心臓を何かにつかまれて、その心臓がドクドクと波打った。
聞こえるはずのない、あの音を今でも思い出す。
脳と頚椎のCTスキャンやらMRIやら、
4回精密検査をしたが原因はわからなかった。
「原因はわかりませんが、この子の右手は一生動きません」
と言った女医に激しい怒りを感じた。
その女医は画像と数値だけを見て、Yの体には一度も触らなかった。
病院の女院長にタンカを切って、すべての画像データを引き上げて、
違う病院に行くことに決めた。
冬の寒い、病院からの帰り道、
なぜかYの頭にミツバチが1匹止まっていた。
僕と妻は、そのままベビーカーを押して歩いた。
そのYが今年の夏、スイスイと自転車に乗れるようになった。
本当に驚いた。
それを妻は、もう4回もブログに書いている。
この出来事は間違いなく、
今年の我が家の重大ニュースのトップ争いをするだろう。
この夏、Yはプールで25mを2回も泳げたと自慢した。
クロールでもない、犬かきでもない、
独自の、オリジナルな泳ぎを身につけたのだ。
「世の中には自分のオリジナルを作りたいと願いながら、
それでもできずに死んでいく人ばかりだよ」
僕がそう言うと、
「ぼくはね、自分のからだで実験をしてるんだよ」
と、Yは興奮しながら言った。
息子に何かを伝えたい、託したいと思っているのに、
教えられるのは、いつも僕のほうだ。
でも、それがまた、たまらなくうれしく、ありがたい。
自転車を駆るYの後姿は誇らしげだ。
秋には6歳になる次男Kも補助輪を取って、兄の後を追いかける。
今年の夏の我が家のドラマは、いい演目だったと記憶しておきたくて、
こんなブログを書きとめておくことにする。
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