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*マリクロ|電子書籍総合出版社 作家ブログ*
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画家のピカソは、ある自分の個展で、
記者たちのインタビューに、こう答えたという。
「みなさんは、たとえば私が描いた山の絵をほめてくれるが、
なぜ、山そのものを見ようとしないのだろうか?」
写真家のロバート・メイプルソープは、
エイズで死ぬ数年前から花の写真ばかり撮っていた。
あるインタビューで記者から、なぜ花ばかりと訊かれて、こう答えたという。
「そこに完璧な美があるからだ」
人は死が近づくと、“美”に近づいていくのだろうか。
絵画でも文章でも、課題を与えられると書けるが、
自由に、自分の好きなように書いていいと言われると、
途端に書けなくなる人がいる。
では自由とは一体、何だろう?
以前、義母は油絵を描いていた。
上手に、人に見せても恥ずかしくないものを描こうとして、
その重圧と人間関係のいざこざのために、ついには胃を患い、
全摘出手術をするまでに苦しんだ。
同じ頃、僕の母は日本画を描いていた。
処女作が幸運にも認められて、地元の美術展で賞をもらった。
その後、数点の作品を仕上げたが、心を病むことがあったり、
ほめられたいプレッシャーのために、いつしか絵筆を持つことを止めてしまった。
もう20年近くも前のことだ。
2人とも子供の頃から絵を描くのが好きだったのに、
絵は2人を幸せにはしてくれなかった。
自由の“由”には、“おおもと”という意味がある。
つまり自由とは、自分の大元“という意味だ。
人は自分の大元に気づくとき、本当の自分に出会うとき、
初めて、自由になれるというのだろうか。
では、本当の自分とは何だろう?
今年の正月、2人の母に会ったとき、
彼女たちが、また絵を描き始めるような雰囲気は、まだ感じられなかった。
でもいつか、また描き始めてほしいと願っている。
そのとき、今度こそ絵は2人を幸せにしてくれるだろうか。
それとも、今度こそ2人は絵を描くことで本当の自分に出会えるだろうか。
3.11東日本大震災のとき故郷が被災し、その年の9月に妻を癌で亡くした。
現役時代、4度の世界一に輝いたバドミントンの女王だった妻の最後の言葉は、
「自立してください」だったという。
それ以来、彼は歌を作り続けていて、今、その歌が静かに話題になっている。
TVのインタビューで話していた。
「自分をね、なぐさめるために歌を作ってるんです」
現代の売れっ子作家である村上春樹氏と、よしもとばなな氏。
2人とも作家活動のきっかけについて、同じことを言っている。
「自分をなぐさめるために小説を書き始めた」と。
子供の頃から、世界文学全集を読破していた男と、
吉本隆明の娘に生まれてしまった女にとっては、
書くことがなぐさめだったのは必然かもしれない。
浮世絵師の葛飾北斎は死の間際、こう言ったという。
「もう5年生きたら、本当の絵描きになれる」
その執念は、どうしたら手に入れることができるのだろう。
才能を持って生まれた者の宿命とでもいうのか。
なぐさめでも執念でも、書くことも描くことも、
売ることも作ることも、教えることも騙すことも、
結局は、本当の自分を知るための行為なのではないか。
自分のことを知りたいから、苦しくても続けられる。
いや、続けざるを得ない。
それが、一生の仕事であり、
自分の“カルマ(業)”の清算というものなのかもしれない。
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