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シンクロですね(妻より)

 
 ダンナが記憶力がいい。

 macのメールの調子が悪く、「アップ、よろしく」のメールが読めまなかった。
 そう。
 ダンナはいまだに自分でブログをアップできない(笑)。

 読んでみたら、少しまえにわたしが書いた忘れられるから文章が書けるという内容のブログ「忘れっぽいのも才能のうち!」とおそろしくシンクロしているではないか。
 
 自分の中に積み重なった知識や感情、記憶や情報が鬱陶しく感じられて、捨ててしまいたかった。自分を消してしまえば、ラクになれるんじゃないかと思っていた。
 
 ダンナが記憶力がいい。
 だから執着してしまうこともある。

 さあ。忘れなさい。
 自分の知識や感情、記憶、情報を。

 といっても、記憶力のいい人がそうそう忘れられるものではない。
 でもね。
 書くと忘れちゃうものです。


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at 10:26, maricro15, -

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考えるな、感じるんだ!(夫より)

 

 映画『燃えよドラゴン』で、ブルース・リーが少年にカンフーの修行をしながら、こんなセリフを言う。

Don’t think, Feel!」

キャー、カッコイイ! シビレちまうぜ!!

でも、ちょっと待ってブルース師匠、“感じる”ってどういうこと?

 

以前、文章を書くことに不自由さを感じていた頃があった。

文章が論理的構築を必要とする限りは、何処までいっても「自分」の枠から抜け出すことができないのではないか? と考えていたからだ。

その点、たとえば音楽や絵画の世界は、もっと直感的というか、作為的な自分とは違う次元から降りてくる「何か」、自分を消し去った領域に残った根源的な「何か」を引っ張り出してくる行為に思えて、うらやましい感じがしていた。

自分の中に積み重なった知識や感情、記憶や情報が鬱陶しく感じられて、捨ててしまいたかった。自分を消してしまえば、ラクになれるんじゃないかと思っていた。

そこで、絵を描いてみたが、結局考えてしまって筆が進まない。夜中の寝入り端や明け方の夢うつつのときに、ふといいメロディが頭の中で流れることがあって、これをなんとかしたいと思うのだけれど、楽譜は書けないし、起きて煙草に火を点けるころには、もう何処かに消えている。

じゃあ、瞑想でもしながら心霊世界でいうところの「自動書記」でもやってみようかと、ロウソクとお香を用意してソファに横たわり、「降りてくるもの」を書き留めてみたが、あとから読み返してみると、意味不明な言葉の殴り書きがあるだけで、やれやれ、実験はあっさり失敗した。

 

それでも、なんとか自分なりに書き続けてみると、文章というのは考えているうちは“動き出さない”ことがわかってきた。

直感や閃きは、思考の中ではなく“書き続ける”という行為、身体感覚をとおして降りてくる。

人間の脳は、絶えず思考を続ける器官なので、その思考のループを書くという身体感覚が遮ってくれると、その隙間に直感や閃きが入り込んでくるスペースができる。その瞬間に、文章に生命が吹き込まれる。

画家や音楽家も創作活動を続けていく中で、その身体感覚をとおして作品を生み出しているのだろう。自分にはどの身体感覚が合っているのかが、続けていけるかどうかの違いなのかもしれない。

だから文章を書く人は、本人が望む、望まないに関わらず、結局は書き続けていくしかなくて、その行為の中でこそ生きていける生き物なのだ。

結局、書き手は書くことでしか自由になれないのだろう。

 

 

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at 10:23, maricro15, -

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