子どもが小学校にあがると、週に一回くらいのペースで作文が宿題に出る。
作文。
親でも苦手なことを子どもにどうやって教えたらいいのだろう!
あるとき、読書感想文の宿題が出た。
小学1年生の国語教科書に載っているレオ・レオニ『スイミー ちいさな かしこい さかなの はなし』だ。
他の魚の兄弟たちはみんな赤いのに、スイミーだけはからすがいよりも真っ黒。
でも、泳ぐのはだれよりも速く、ある日おそろしいまぐろがミサイルみたいにつっこんできて、スイミーだけが逃げ延びた。
ひとり広い海を冒険し、仲間を導いていく……というお話だ。
さて、どうやって感想を書こうか。
感想を書くには、まずは自分の気持ちと向き合わなければならない。
次に、その気持ちを整理しなくてはならない。
さらにそれを文章にする技術が必要だ。
まずは、自分と向き合うこと。
技術はあとからついてくる。
感想文を書けないのは、感想がないからではない。
子どもは自分の気持ちとの向き合い方がわからないのだ。
大人であればまずは思いついたことをメモしてみたりするが、メモすることもハードルの高い作業。
だったら、どうやって自分の気持ちと向き合えばいいんだろう。
たぶん簡単なやり方は、
話すこと。
パッと思い浮かんだところから話し合ってみる。
スイミーはひとりぼっちでさみしかっただろう。
スイミーはなぜみんなとちがうんだろう。
ひとりだけ黒かったからみんなの「目」になれた。
スイミーは広い海を冒険して世界を知った。知らずに人生を終えるよりやっぱり知りたい。
などなど。
さみしい
なぜ他人とちがう
自分だけなぜ黒い
冒険したい
これら思いついたことは、自分そのもの。
自分のなかにその「かけら」が存在しているという証だ。
そのかけらを見つけた瞬間、とても爽快な気分になる。
そのかけらがたとえ濁っていても、赤でも黄色でも青でも、きっと輝いて見えるはずだ。
だったら、偽物だったり他人のかけらを見つけるのではなく、自分だけの「かけら」を見つけたい。
それが本物であり自分だからだ。
文章を書くなら、自分に正直にならなければならないということなのだろう。
自分をさらけ出すことを恐れてはいけないということなのだろう。
照れてはいけない。
ごまかしてはいけない。
嘘つきなら嘘つきの自分をだせばいいということなのだろう。
ただし、親子では本音で語り合えるが、他人の場合はこうはいかない。
つまり、かけら(ありのままの自分)と向き合って正直に語るのは、「文章」だからこそできること。
こっそり書いて人目にふれずに白状することなんて、文章ならいくらでもできるのだ。
自分を知る。
その自分をおそれず出す。
この一連の作業をなんどもなんどもくり返しながら書くことで、何を手に入れられるのだろう。
それは、無数の「かけら」が散りばめられた満天の星空。
その星空が自分のなかにあることに気づいたとき、きっと自分が輝いていることを知るだろう。